SHIRIN

語録

尸林の編集者T(@chillingmaru)のXポストより。AEO・瞑想・尸林に関する語録集。

AEOの本質

AEOの定義、特徴、体得とは何か

頭頸部の収縮による強烈で持続的なオーガズム。これがAEO。頭頸部の収縮がキモであり、咽頭と眉間を結んだ真ん中辺りの身体の中心線上の一点に意識を集中し、微妙な圧力をそこに向かってかける。世間で言われるエナジーオーガズムとは一線を画す。熟練すれば、頭部内以外への集中でもAEO可能となる。

ドライオーガズムにしろエナジーオーガズムにしろ、「できてるかどうかわからない」という期間があるが、これはできていないのである。ドライにしろエナジーにしろ、単なる生理現象であるからできた時ははっきりとオーガズム感を体感する。それまで粘り強く継続できるかどうかが鍵。

AEOを訓練するおすすめの時間は起きてすぐ。心身ともにリフレッシュしているので、AEOに全集中できる。僕の場合、当初AEOは起床時〜午前中しかできず、頭がいっぱいになってくる午後は難しかった。

射精して「神秘体験をした!」と言う人はいない。生理現象だとわかるからだ。それと同じように、本当にクンダリニー覚醒すれば、「神秘体験をした!」などとは言えない。なぜなら、はっきりと生理現象と体験するからだ。つまり、クンダリニーを神秘とする人は実際は体得してないか、何か意図がある。

AEOはその人を自然と瞑想の達人にする。何十年と座禅を組んでいる禅師の瞑想などオママゴトのようなものだ。只管打座なぞ無駄の極み。何時間も息をスーハースーハーするなど不効率極まりない。AEOをキメれば5分でサマーディだ。1時間もやれば言語では何も覚えていない。これがいい瞑想。

AEOができているかできていないか判断がつかない場合、それはできていない。 雨が降っていることに気づかいな人はいない。 それと同じである。

的確な丹田の刺激

常にボーっとする

初期は軽い片頭痛

ある程度の期間、息苦しさを感じたりもする

ちなみに、変性意識変性意識としつこく言っているが、「じゃあ、変性意識状態になるとなにか不思議なことが起こるのか!?」と言われれば別に起こらない。 サイケデリック・トランスのレイヴとか地下のテクノパーティなんかに行けば、ぶっ飛んだ変性意識状態の人間ばかりが踊り狂っているが、別に何も不思議なことなんて起きない。当たり前だ。 でも、変性意識状態は内受容感覚を敏感にとらえ、身体のコントロール能力もアップする。なぜかは知らない。でも、そうなる。スポーツをやっていた人ならわかるかもしれない。ゾーンってやつだ。身体と意識のシンクロは高まり、関連する筋肉群が流れるように……

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ちなみに、変性意識変性意識としつこく言っているが、「じゃあ、変性意識状態になるとなにか不思議なことが起こるのか!?」と言われれば別に起こらない。 サイケデリック・トランスのレイヴとか地下のテクノパーティなんかに行けば、ぶっ飛んだ変性意識状態の人間ばかりが踊り狂っているが、別に何も不思議なことなんて起きない。当たり前だ。 でも、変性意識状態は内受容感覚を敏感にとらえ、身体のコントロール能力もアップする。なぜかは知らない。でも、そうなる。スポーツをやっていた人ならわかるかもしれない。ゾーンってやつだ。身体と意識のシンクロは高まり、関連する筋肉群が流れるように連動する。余計なノイズ情報はカットされる。 この状態になれば、臍下丹田の位置、AEOで意識するべき頭頸部のポイント、コントロールするべき筋肉などをピンポイントで探るのが容易になる。

局部でのアレンB型EOの場合は局部の延長線上。 意識ホワイトアウトなら後頭部の向こう。

おおげさだと思われるかもしれないが、AEO体得者にとって以下のことは現実なのである。 1. 欲望と快楽の再定義 AEOは無限の快楽を外部の物質や人に依存せず、自ら生み出せる。これにより、従来の欲望や快楽の追求が意味を失い、物質的な欲望や消費主義から自然と離れる。人間は何を求めるべきかという根本的な問いに直面する。 2. 倫理観の変容 無限の快楽を手に入れることで、快楽や幸福を得ることが、他者との関係や社会的ルールに依存しなくなる。AEOによって、快楽が他者に影響を与えない形で得られるため、従来の「他者との関係」を前提にした倫理観が再定義される必要がある。……

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おおげさだと思われるかもしれないが、AEO体得者にとって以下のことは現実なのである。 1. 欲望と快楽の再定義 AEOは無限の快楽を外部の物質や人に依存せず、自ら生み出せる。これにより、従来の欲望や快楽の追求が意味を失い、物質的な欲望や消費主義から自然と離れる。人間は何を求めるべきかという根本的な問いに直面する。 2. 倫理観の変容 無限の快楽を手に入れることで、快楽や幸福を得ることが、他者との関係や社会的ルールに依存しなくなる。AEOによって、快楽が他者に影響を与えない形で得られるため、従来の「他者との関係」を前提にした倫理観が再定義される必要がある。伝統的な「善悪」や「他者への配慮」の枠組みでは対処できない新しい倫理的課題が生まれる。 3. 自由と自律の究極化 AEOは人間を外部の権力や制約から解放し、完全に自律的な存在へと変える。自己完結型の至上の快楽追求が可能になることで、人間の自由の本質について再考せざるを得なくなる。至上の快楽が無制限に手に入ると、自由の意味が再定義される。 つまり、AEOは従来の欲望、快楽、倫理、自由という根本的な人間理解を覆し、新しい価値観と生き方の指針を必要とする。 あと、なかなか伝わらないところだが、ここでいう「快楽」とはそんじょそこらの申し訳程度の快楽ではないということだ。

骨盤内のあくびにしろAEOにしろ、内受容感覚を研ぎ澄まして身体のどこをどう刺激し、姿勢をどのような状態にしたときに快感や気感や違和感やエネルギー感がどこからどのように発現してくるのか。そしてそうした感覚は身体のどこかを動かすことでコントロールできるのか? 今の精神状態は? などなど、AEO瞑想中はとにかくこうしたことにひたすら超絶集中するべきなのだが、これらを本気で行っていればエロなどという粗雑な想念が入り込む余地などないのである。逆に言えば、エロが入るということはどこかに意識の隙間があるということで、集中度が甘いのだと思うべきである。 快感に浸るので……

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骨盤内のあくびにしろAEOにしろ、内受容感覚を研ぎ澄まして身体のどこをどう刺激し、姿勢をどのような状態にしたときに快感や気感や違和感やエネルギー感がどこからどのように発現してくるのか。そしてそうした感覚は身体のどこかを動かすことでコントロールできるのか? 今の精神状態は? などなど、AEO瞑想中はとにかくこうしたことにひたすら超絶集中するべきなのだが、これらを本気で行っていればエロなどという粗雑な想念が入り込む余地などないのである。逆に言えば、エロが入るということはどこかに意識の隙間があるということで、集中度が甘いのだと思うべきである。 快感に浸るのではなく、観察するべきである。体得してからいくらでも浸れるのだから。

ちんちん立ててる場合じゃない。 身体を立てろ。 でなきゃAEOには到達しない。 身体で逝ってる場合じゃない。 頭で逝け。 至高の精神的オーガズムが得られるぞ。

母国語でチベット密教やインド仏教、ヒンドゥー教について研究した本を読めるということはすごいことなので、AEOチャレンジする人はお金かけて本を買って勉強したほうがいい。 AEOとはなんなのか? それはどんな人たちにどんな味付けをされ、どんな料理になって提供されてきたのか? その輪郭がハッキリしてくれば自分の中でくっきりと概念化されてくるので、AEOにまつわる歴史が明らかになってくる。AEOが明らかになれば目指すものがなんなのか検討がつくので、開発スピードは上がる。はず。

瞑想は経験豊かで有能な指導者のもと、長い時間をかけて学ぶ必要がある。 とか言われるけど、宗教的でとても嫌な感じだ。 僕は瞑想経験ゼロから10ヶ月でAEO体得できたのだから、正しい情報(考察録)と継続力(気狂い)があれば事足りるということだ。 自分にとってこの世で最も優れた瞑想の指導者は自分自身である。

AEOは神経伝達物質を出しているに過ぎない。神秘でも何でもない。自分でキメてるだけだ。暗喩や隠喩はいくらでも想像力をかきたてるがな、基本を忘れてはいけません。突き詰めれば突き詰めるほど、基本技術が物を言うようになる。トップアスリートとそれ以外の違いは、狂ったように基本をやるかどうかだ。AEOの基本は頭頸部だ。下じゃない。DOEO体験したら、さっさと頭頸部に移ってOKだ。あとな、快感に浸るなよ。観察するのだ。カーラチャクラの第三灌頂で行者はダーキニーとセックスして射精するが、それはとてもゆっくりと射精しなければいけない。なぜかわかるか? 観察し、コントロー……

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AEOは神経伝達物質を出しているに過ぎない。神秘でも何でもない。自分でキメてるだけだ。暗喩や隠喩はいくらでも想像力をかきたてるがな、基本を忘れてはいけません。突き詰めれば突き詰めるほど、基本技術が物を言うようになる。トップアスリートとそれ以外の違いは、狂ったように基本をやるかどうかだ。AEOの基本は頭頸部だ。下じゃない。DOEO体験したら、さっさと頭頸部に移ってOKだ。あとな、快感に浸るなよ。観察するのだ。カーラチャクラの第三灌頂で行者はダーキニーとセックスして射精するが、それはとてもゆっくりと射精しなければいけない。なぜかわかるか? 観察し、コントロール可能とするためだ。快感に溺れ、忘我の中ではそれはできない。

AEOにおいて、神経の可塑性が関わっていると思われる以上、いろいろためすのは悪手。ネチネチ攻めるのじゃ。合わないと思ったらすぐ違うものに切り替える。しかし、AEO体得にとってやるべきことは多くないのが事実。

公園近くにある? あるなら、ブランコ乗ってきな。あれいいよ。前から言ってるけど。降りるとき、骨盤内がギュイーンってなるだろ。あの時ガッツリ骨盤内意識してみ。んで、後ろにグワーンっていって、一瞬止まって、降りだすその刹那の身体の感じをよーく観察してみ。その状態を瞑想時に再現できるといいかもね。他にもたとえば、あくびが出そうって意識が芽生えたその刹那の身体。くしゃみが出そうって意識が芽生えたその刹那の身体。感情が動きそうになるその刹那。その時の身体の感じ。観察するのは意識や心じゃない。身体だ。前にポストしたの覚えてるか? 「大切なのはあいだ」なんだよ。呼気と……

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公園近くにある? あるなら、ブランコ乗ってきな。あれいいよ。前から言ってるけど。降りるとき、骨盤内がギュイーンってなるだろ。あの時ガッツリ骨盤内意識してみ。んで、後ろにグワーンっていって、一瞬止まって、降りだすその刹那の身体の感じをよーく観察してみ。その状態を瞑想時に再現できるといいかもね。他にもたとえば、あくびが出そうって意識が芽生えたその刹那の身体。くしゃみが出そうって意識が芽生えたその刹那の身体。感情が動きそうになるその刹那。その時の身体の感じ。観察するのは意識や心じゃない。身体だ。前にポストしたの覚えてるか? 「大切なのはあいだ」なんだよ。呼気と吸気のあいだ。交感神経と副交感神経の間。人間と人間だって距離感大事だろ。辻仁成が言ってたぞ。冷静と情熱のあいだって。冷静に身体の観察を情熱的に継続するんだよ。快楽に情熱的になって溺れたら冷静な観察はできない。それは使われているだけだ。

それも、フリッソンではないんですけどね厳密に言うと、ややこしいんですけど。フリッソンは性感と同じで方便みたいなものです。やりまくってればいずれはAEOと融合してくると思います。僕の最新の見解では、骨盤内のあくびよろしく、腹のあくび、胸のあくび、喉のあくびがあるなぁという気がしてきていて、僕が2023年8月にできたのはおそらく、「眉間+腹、もしくは胸のあくび」。この時期のはフリッソンに近かったし、眉間と胸でやってたからまさに「歓喜」って感じ。思わず「バツやん」と口に出すほど。だから、骨盤底から性エネルギーが背骨を伝って上昇してきてうんちゃらかんたらみたいな……

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それも、フリッソンではないんですけどね厳密に言うと、ややこしいんですけど。フリッソンは性感と同じで方便みたいなものです。やりまくってればいずれはAEOと融合してくると思います。僕の最新の見解では、骨盤内のあくびよろしく、腹のあくび、胸のあくび、喉のあくびがあるなぁという気がしてきていて、僕が2023年8月にできたのはおそらく、「眉間+腹、もしくは胸のあくび」。この時期のはフリッソンに近かったし、眉間と胸でやってたからまさに「歓喜」って感じ。思わず「バツやん」と口に出すほど。だから、骨盤底から性エネルギーが背骨を伝って上昇してきてうんちゃらかんたらみたいな感じではまったくなかったですし、どこかで詰まることもなくスムーズに頭、全身といけた。んで、その年の12月だかに不覚にも「釈迦だ!」ってマジで思ってしまって命名した「釈迦トビ」を経験したんですけどw、そこからは大きく質と強度が高まりました。眉間の開発が閾値を超えたなって感じ。そこからは、胸とか腹とか使わなくても、頭頸部の収縮と弛緩によって頭から直接ドバドバ流して全身を包むとか頭の中だけでとか自由にやれるようになりました(たぶんここで本当のAEOに突入した)。その人の身体性によってブーストに都合がいい場所が正中線上にあると思うけど、基本的に最も多いのは臍下丹田だが、それも方便。眉間を開発すれば、どこでも合せ技ブーストでいけるようになるはず。

遠ざかり退いて行ずる修行者は、独り離れた座所に親しみ近づく。迷いの生存の領域のうちに自己を現さないのが、かれにふさわしいことであるといわれる。 ー釈迦

はっきり言って、クンダリニーで背骨背骨言う人は、単なるヨーガオカルティズムに毒されちゃってる思い込みの強い人だと思うよ。そういうフレームワークから抜け出せない人ってことだ。本当に覚醒すればな、フレームワーク外れるし、いかようにも使えるようになるから笑。

法悦も、再現性があって自分でコントロールできなけりゃしょうがない。が、ほとんどの宗教者は一度っきりの法悦体験ごときで「おおお、神よ!!」となってなんとか団体作り始めたり、なんとか団体に入ったりする。レベル低い。けど、レベルが低いからこそ人が集まるのである。これ世間の法則。

宗教は、過去の誰かの法悦体験にしがみつくようなものだ。お前が体験し、体得しないでどうする?

意図しない恍惚、快楽体験は再現不可能なので、振り返らないが正解。

これはいつでもやめられるお遊びじゃない。不可逆で後戻りできない。扉は開いたんだよ。

そもそも論で、思考と雑念をまず分けることと、「瞑想中はものを考えてはいけない」などといった禅的な間違った考えをもっていないかどうか。持っていればその考えは間違いなので改める。雑念はどうしたって出るのがある一定状態の脳みそであるわけだから、そういうもんだと定義した時点でどうでも良くなる。次に思考だが、瞑想中に変性意識になって何かについて徹底して思考することは立派な瞑想だし、釈迦がすすめた瞑想もこれ。徹底的に自分の周りの現実の、実存の十二因縁について思考するなどがそれ(ただし前提として変性意識でなければいけない)。そしてこうした意識的な働きはAEOによって瞑……

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そもそも論で、思考と雑念をまず分けることと、「瞑想中はものを考えてはいけない」などといった禅的な間違った考えをもっていないかどうか。持っていればその考えは間違いなので改める。雑念はどうしたって出るのがある一定状態の脳みそであるわけだから、そういうもんだと定義した時点でどうでも良くなる。次に思考だが、瞑想中に変性意識になって何かについて徹底して思考することは立派な瞑想だし、釈迦がすすめた瞑想もこれ。徹底的に自分の周りの現実の、実存の十二因縁について思考するなどがそれ(ただし前提として変性意識でなければいけない)。そしてこうした意識的な働きはAEOによって瞑想が超深まり=脳機能が停止していけば自然と止み、ベタ凪の海面のようになる。というかならざるを得ない。脳が働かないのだから。

身体性のレベルが高い人は、人の動きを真似することでその人の考えていることが理解できる。動きを真似するだけではなく、心理を読み取っているのである。その心理が理解できた時、はじめて応用できる。心理が理解できなければただの猿真似。ゆえに、イメージトレーニングするときも、誰がそのイメージを考えたのかが重要で、それがわからないのならばやらないほうがいい。

具体的な知識がない中で抽象に走ると、危ないよなぁ。

とりあえず、箱かレイヴに行けばいいんだよ。そうすりゃ一心不乱ってことがわかるし、シャーマンのバカさ加減がわかるし、なんで人間は昔から歌って踊り狂っていたのかがわかるよ。これがわからないと、いつまでもシャーマニズムだのなんだのに幻想や神秘をいだくだろうな。山奥のレイヴ行ったらシャーマンだらけだよ(笑)。

AEOだって常に一歩引いてつき合わないといけない。自分の身体で起きている以上、神秘体験なんて存在しない。神秘体験はその人が神秘体験だと思うから神秘体験になるだけ。AEOだってある属性の人からしたらガッツリ神秘体験。体外離脱だって単なる脳内現象だけど、神秘体験だと解釈する人もいる。そう思う人、そう思いたい人はマジで多いし、たぶんそういう人のほうが多い。

スピリチュアル的立場:「答えは既に存在し、見つけるのを待っている」 科学的立場:「答えは暫定的で、常に検証と修正を必要とする」​​​​​​​​​​​​​​​​ 君はどちらかな?

スピやオカルトってのは何を信じてるとか信じてないとかそんな話ではない。態度の問題だ。「科学では説明できないことがあるんだ! ゆえに、科学を信望するの間違っている!」という言説のおかしさがわかるか? その時点でもうスピオカルトに踏み込んじゃってるんだよ。

AEO投資は最高のリターンを永遠に得られるらしいぞ

観察にも意味のある観察と意味のない観察がある。身体内を細かく観察すればいいってものではない。何を観察するべきかは目的とそれを達成するための手法による。AEO修行のためにやることは多くはない。師匠は「Xで語るべきことは特にない。本に書いたから」と以前言っていた。俺は考察録のみで覚醒した。これらのことがすべてを物語っている。

禅は「偽禅」から降りるチキンレース。最後まで踏みとどまったものが、負け。

本者と偽者。それが知りたきゃ原点に帰るのさ。

会いたくもねぇ人に毎日会い、いたくもねぇ人ゴミに毎日身を置いていると、人は麻痺する。それが当然だとな。俺は普段、家から出ないし人にも会わないが、そんな話をすると彼らはこう言うのさ。「病んでない?」。 だがしかし俺は、会うべき人には会い、出会うべき人とはきちんと出会っている。この違いがわかるかな?

人はやはり明確な目的を定めるというのが難しいらしい。自分がやっていることはなんのためなのかをハッキリと理解して行っている者は少ない。

「わかった」「理解した」「できた」って思ったら終わりの始まりよ。「エナジーオーガズム考察録」が出たのが覚醒から4年後。「考察録2」が10年後だ。

細かく説明すると「すごい!」と思われる現象はよくあるが、これは3流だ。1流はそもそもやらない。たとえば、AI使ってさまざまな業務を自動化させるのが流行ってる。確かにこれで業務はかなり効率化されるだろう。しかしよく考えなければけない。やらなくてもいいことがあるのではないかと。だから1流はこうする。いらん仕事をやめる。AEOでもいえるな。無駄なことをしない。ヨーガや密教はすごいけど、無駄だらけだ。

ちなみに、恍惚恍惚と俺は言うが、これは温泉とかサウナ入って「あ〜気持ちいい」とか異性とセックスして「あぁ超気持ちいい!」という低レベルの話ではない。普通に生きていたら体験することがないレベルのエクスタシー。故に恍惚レベルが低い人間は「法悦じゃぁぁぁ、おおお神よぉぉぉ」となってしまってしょうもないことをイケシャーシャーとヨウツベあたりで話し始めるのである。

ノイズに惑わされず、正しいAEO道を歩いていれば、正しい疑問が生じ、正しい質問がなされる。俺はそれを見ている。

「できない」って思うからできるようになるのであって、簡単に「できた」と思うような人間は何も成し遂げられないのよ。残念なことに単なる勘違いで終わっちまう。スシローがザギンの寿司だとな。

めちゃくちゃ当たり前のことをいうぞ。AEOを体得したいなら、これまでの人生の優先順位を変え、すべてAEOに振り切ることだ。古代の密教行者は、お師匠さんについて、ダーキニーと一生懸命性的ヨーガに励んでいたんだ。そのことを思えば、たった独りであくび系EO覚醒して、その後AEO道に進んでいくためには、振り切るしかない。あたり前田のクラッカーだ。」

アタリマエのことを言うぞ。精神病んでる人間が向かう先は尸林じゃない。病院だ。以上。

生真面目な人間は、どれだけ熱心に密教行、ヨーガ行しても何も成し遂げられない。真面目さの向かう方向が違うのさ。楽しくなけりゃ行じゃないの。おわかり?

日本はそもそもオカルト国家だから、国民がトリップすることなんて許されないんだよ。だから、酒や煙草などといったウンコしか認められない。そしてみんなウンコを摂取して喜んでおる。欧米では幻覚剤のマイクロドーズが流行り、セレブがこぞってやって、毎日ハッピーだと思い込んで金稼ぎをしている。尸林はそんな世間とは距離を起き、AEOに浸るのさ。面白い世の中だ

懐疑的じゃない人間の自己フィードバックはフィードバックとはいえない。メタ認知できてないから。単なるオナニー。ここからはよく見えるな。

覚醒後の行のメインは、いかにインスタントに強烈なEOをできるようになるか? で、その極地がAEO。その過程で自分好みのXを掛けあわせることでとんでもないことが起きていく(AEO×X理論)。気がついた頃には、笑っちゃうような身体になってる(笑)。

覚醒前の「気感」ってのはあてにしてはいけません。覚醒で起こるEO、そして体感する気感は圧倒的なので。逆にいえば、覚醒前の「気感」ってのは大抵の場合、思い込み、勘違い、決めつけである場合がほとんどというか、100%かなと思います。

身体から青い血が出てきたら「なんじゃこりゃ!!??」ってなるだろ。覚醒ってそういうことだから。日常の延長線上にはないはず。今のところ見てると。

「理論上、理論と現実は一致する。しかし現実には、理論と現実は一致しない」 ーアルベルト・アインシュタイン 「人間だもの」 ーみつを 日米のコラボ

筋トレと同じで、突然ベンチ100キロ挙げられるようにはならない。淡々とした毎日の積み重ねがブレイクスルーを起こしていく。神経系が耐えられない快感を感じることはできない。快楽神経の筋トレさ。

コーヒー、たばこ、アルコール、その他ドラッグ、筋トレ、ランニング、楽しい嬉しい…。そうした快をもたらすものすべて、体内では化学反応が起きている。それを如実につかめ。ボケっとするな。

鉄は熱いうちに打て。自分の心も人の心も。1日1時間の行を何年もやり続けるより、1日5時間の行を短期間でやり切れ。AEOへの情熱を焚きつけろ。たらたら何年もやるのは行じゃない。ただの形式だ。時間の無駄。実質的に得られるものはない。何事も成し遂げられない人間は自分の情熱も人の情熱も焚き付けられない人間だ。簡単な話さ。

催眠音声もダンスミュージックも、たいていの人は聴き慣れるための段階が必要。聴きまくると構造がわかる。構造がわかると身体が反応しやすくなる。「ここでしょ?」つって。つまりそれは、オーガズムの構造。

禅病の99.9%は禅病じゃなくて「禅病って言いたい病」だと思ってる。

イメージってのは、そのものを表すものではなく、雰囲気とか近似値。だから、イメージでやっている限りそのものを獲得することは困難。

悟りとは? そんなもん知らん。

AEO体得すると、人生にぶっといぶっとすぎる軸ができるからいとも簡単にどころか自然と積極的無関心状態になる。AEOという現象が凄すぎて他の大体の事柄には目もくれなくなる。人生のノイズは激減する。そりゃQOL爆上がりしないわけがない。

気分、心、マインド、固定観念が大きく変容しても、身体がついてこないのであれば、それは危うい。AEOによる劇的な身体的変容がまず先にあり、それに伴って自然と心も変容していく。この順序が大切。

肉体的な快感が人に与える影響について、人は鈍感すぎる。

イケガミアキラワカリヤスイ症候群を発症し、からのAIヨーヤク病に陥った人に、残されている救いの道はもうない。残された道はAEO体得の道ただひとつだけ。頑張れ。

なんでもすることができて、なんでも見ることができるけど、するべきことは何もなく、見るべきものも何もない。

1.宗教は「意味のOS」 2.生死は「時間の枠組み」 3.愛は「他者との融合体験」 4.戦争は「死の分配機構」 5.金銭は「未来の選択肢」

宗教の目的はトリップするためであって聖人君子のような人物になることではない。ということを理解するといろいろいいことが起きると思ってるが、宗教好きはなぜかみなさん聖人君子のようになろうとするからその時点で負け戦。筋が悪い。

AEOの技術が向上し、姿勢が崩れていくにしたがって、AEOはどんどんどんどん日常生活に溶け込む。瞑想ってなんだっけ? って感じ。

オーガズムは快感の質や強度じゃなくて、構造のことをいうのですよ。快感をどう感じ解釈するかは人それぞれ。でも、オーガズムの構造は変わらない。

オーガズムが快感の質や強度なのであれば、ドラッグを摂取すればオーガズムできるということになるが、それは違うだろ? そういうことさ。

お金をいくら積んだところで、AEOは体得できない。金持ちが喉から手が出るほど手に入れたいものさ。

あえて抽象的な表現をするならば、息を鼻から吐くときにただ吐くのではなく、中央脈管に染み込ませるように息を吐く。そうすると、やつが中央脈管からにじみ出てくる。

上流に行けば行くほどマッチョでコンサバになるのはどんな領域もおそらく一緒。みんな違ってみんないい。んなわけない。それはマヤカシ。何か罠があるぞ。

お前のEOがもしクンダリニー覚醒なら、乳首なんていじっている暇はないはずだ。

オーガズム曲線とは、受け手の記憶に基づく“帰るべき感”を拠点として、帰還を意図的に遅延させ、その未解決フラグを適切な密度で一挙に解除することで生じる、時間意識の勾配である。

Space Is Only Noise.

至高の無関心

ぶっ飛んでる。来た道はもう戻れん。

眠くなったボケっとしたりするのは、意識が顔の前面に張り付いてるから。延髄に戻す。

快感は羅針盤であるとともに、迷う原因そのもの。尸林、気をつけな。

今でもそんな働かなくても生きていける世の中だけど、たぶん大半の人にとっては働かないというのは苦痛以外の何物でもないと思う。壮大な暇と壮大な自由を楽しめる人は少ない。それはAEO体得しようと変わらない。1日じゅうAEOやってれば満足するのかっつーと、するわけがない。魔法じゃない。

AEOという体験をもってタントラを学ぶと、決して欲望の肯定が本質ではないということがよく理解できるが、世の中の99.999999%のタントラ理解は「性の肯定」や「欲望の肯定」。まあ、そんな言説しかなかなか見つけられないからそう思ってしまうのはしょうがないのかもしれないが、理解が浅すぎる。

「自分流」なるものに手を出す者のうち99.99999999%はただの諦め、妥協、勘違い、低レベルである。乙。

体外離脱による空中歩行を、生身で浮くことだと解釈すると、結跏趺坐で飛び跳ねたところを写真に撮って「空中浮揚」というように仕上がる。

気持ちいいことが規制され、気持ちよくないことが推奨される世間は笑える。

瞑想技術

シャンバヴィムドラー、アブスウェイブ、呼吸法、変性意識

AEOや瞑想時の「身体のどこどこに意識を集中する」というのは、実際は意識を集中するだけではなく微弱な物理的圧力も加える。

AEOを体得する上でヨーガの技法は有効活用できるが、自己催眠技術(変性意識状態への移行技術)なのだと理解してやらないとヨーガオカルティズムにどっぷりハマり、抜け出せなくなるので要注意。変性意識状態もそれはただの状態であって神聖なものでもなんでもない。

サマタをやらせないでヴィパッサナーをやらせるのは、「君たちにはそもそも無理だから」と思われているということを理解している人はいない…。サマタをやらずにヴィパッサナーやっても意味はない。サマタで変性意識に入り、その状態でヴィパッサナーをやるから意味があるのである。

マントラには明らかな効果がある。それは唱えるごとに自然と呼吸が深く落ち着いたものになるということ(深呼吸してるのと同じだから)。1時間もずっと同じ言葉を発し続けるとゲシュタルト崩壊を起こして変性意識状態に入るということ。この2点である。 つまり、吐き出す言葉は何でもいい。基本的に母音5音しかないのだから、「あーいーうーえーおー」でいい。ヨーガで代表的なマントラは「オーム」だが、これは分解すれば「おーうー」だ。腹を意識してやる。大切なのは息を最後まで吐き切ることである。そのために声を出すとスムーズに吐き出せるのだ。 呪文だなどとヨーガオカルティズムまんまを……

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マントラには明らかな効果がある。それは唱えるごとに自然と呼吸が深く落ち着いたものになるということ(深呼吸してるのと同じだから)。1時間もずっと同じ言葉を発し続けるとゲシュタルト崩壊を起こして変性意識状態に入るということ。この2点である。 つまり、吐き出す言葉は何でもいい。基本的に母音5音しかないのだから、「あーいーうーえーおー」でいい。ヨーガで代表的なマントラは「オーム」だが、これは分解すれば「おーうー」だ。腹を意識してやる。大切なのは息を最後まで吐き切ることである。そのために声を出すとスムーズに吐き出せるのだ。 呪文だなどとヨーガオカルティズムまんまを言う人はマントラの本当の効果をまったく体感できていないか、何かの意図がある。

瞑想を実践していると、あれこれ思うことや気になることが出てくるが、そうしたもののほとんどは覚醒してAEOを体得すれば解決するだろう。 呼吸、姿勢、マインドワンダリング、一点集中力、動かないこと、サマーディへの入り方…etc. こうしたことは自然とAEOが解決し、導いてくれる。インドやチベットでAEOが最高峰の瞑想技術とされてきた所以である。

ヨーガをやっていて、苦しい、痛い、と感じるならそれは間違っているけど、痛みは答えに直結している。その不快のフィードバックを受け、「快感を発するにはどうするか」と試行錯誤する。快感を感じたら、「どうすれば増幅するか」を考え試行錯誤する。これを徹底的に続けるだけで、快感は驚くほど育っていく。 快感を突き詰めていくと、あら不思議、快感などどうでも良くなる精神状態がある。「快楽の彼岸」があるということだ。ここにヒンドゥーや仏教、ジャイナ、スーフィ、シャーマニズム、その他宗教の本質がある。と勝手に思ってる。 瞑想だけで彼岸に行くのはかなり才能に左右される。釈迦は最……

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ヨーガをやっていて、苦しい、痛い、と感じるならそれは間違っているけど、痛みは答えに直結している。その不快のフィードバックを受け、「快感を発するにはどうするか」と試行錯誤する。快感を感じたら、「どうすれば増幅するか」を考え試行錯誤する。これを徹底的に続けるだけで、快感は驚くほど育っていく。 快感を突き詰めていくと、あら不思議、快感などどうでも良くなる精神状態がある。「快楽の彼岸」があるということだ。ここにヒンドゥーや仏教、ジャイナ、スーフィ、シャーマニズム、その他宗教の本質がある。と勝手に思ってる。 瞑想だけで彼岸に行くのはかなり才能に左右される。釈迦は最高のトリッパーだったのだ。普通の人は飛べない。釈迦がいなくなってから1200年くらいの間、様々な涙ぐましい努力や偶然が重なり、「あれ、なんか性感コントロールすっとすっげぇ気持ちいいしシヴァになった気分になれるぜ。ぐへへ」という感じで、あるテクニックが連綿と研究、体系化されていった。それが、クンダリニー覚醒。つまり、「オーガズムの延長技術」である。 クンダリニー覚醒の根本経典『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』は、そうした涙ぐましい努力と汗と涙の結晶である。あのような華美な表現方法になってしまうのは、詩を愛してやまないインド人の芸術性ゆえである。 しかし、古代より人間は、なぜこのような身体変容技術をしつこく研究し、「彼岸」に憧れや理想を持ったのだろうか。そうしたことに思いを馳せ、自分の体験と重ねあわせた時に思い出されるのは、 「つれづれなるままに…」 である。要は、退屈で暇なのである。

「身心脱落」は概念ではなく、状態である。変性意識状態が深まった状態である。つまり脳と体が生理的に反応した状態だ。 仏教徒自身が「悟り」「涅槃」「三昧」「定禅」「サマーディ」といった「状態」を「概念」だとして神聖化してしまい体験していないので、「身心脱落という概念」とか「身心脱落という教え」といった間違いを犯す。 なんで戒律があるか? それはバッドトリップをしないためであって、戒律によって身心脱落が起こるわけではないのである。 身心脱落は別に深い意味も何もない。その状態になれば誰もが体験することである。

考察録、考察録2の反応を見ていて思うのは、やはり「変性意識状態」に対する無知と無理解である。このことに関しては、出版前、天武氏とけっこう議論した覚えがある。 僕の意見としては、変性意識状態を利用しなければAEO体得は厳しいのだけど、大抵の人は変性意識状態を体験して正確に定義することができていないから、これはもはや「存在しない」ことと同義である。よって、そう簡単には変性意識状態を意図して体験できないからして、AEO体得も困難であろう。 という至極ネガティブな意見だ。では、どうすれば変性意識状態を知らない人が変性意識状態を知り、その状態に自ら入ることができる……

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考察録、考察録2の反応を見ていて思うのは、やはり「変性意識状態」に対する無知と無理解である。このことに関しては、出版前、天武氏とけっこう議論した覚えがある。 僕の意見としては、変性意識状態を利用しなければAEO体得は厳しいのだけど、大抵の人は変性意識状態を体験して正確に定義することができていないから、これはもはや「存在しない」ことと同義である。よって、そう簡単には変性意識状態を意図して体験できないからして、AEO体得も困難であろう。 という至極ネガティブな意見だ。では、どうすれば変性意識状態を知らない人が変性意識状態を知り、その状態に自ら入ることができるようになるか? を考えなければならないのだが、これがとても骨が折れる仕事なのである。過去、さまざまな人がこの仕事に取り組んだのだろうが、今では変性意識状態という存在すら忘れ去られているような気がしてならない。そもそも、催眠学においてすら「状態論派」と「非状態論派」と別れ、「変性意識状態(催眠状態)はあるでしょどう考えても」「いやいや、暗示で人は動くんだから、そもそもそんな特別な状態を想定する必要ないでしょ」となんだか噛み合っていない議論がなされている。 僕は音楽の領域でどっぷり遊んでいたから、周りは変性意識状態になる人ばかりだった。スピってるんじゃなくて、音楽の領域にいると変性意識状態ってのは身近な状態なのだ。音楽はぶっ飛ぶためのツールなのである。もちろん、誰も彼もが音楽でぶっ飛べるわけではないが、僕らは飛べた。 たとえばこの動画で元気良く歌う彼女は僕の友人であるが、彼女は火星人だと言う。もう一度言うが、スピってはいない。トンでいる。 https://youtu.be/OaUk8xBg1-M?si=71hBmX8nvsES2vyB この火星人が地球時間で50年くらいたつと、このように仕上がる。 https://youtu.be/bKuTonI-qV0?si=A71_9t7TZjOV6hcZ 聴覚が繊細な人は、音楽や音声で飛べる可能性が高い。考察録2は、天武氏オリジナルの催眠スクリプトなどを聞くことができる。何度も何度も試すことで、変性意識状態とは何たるかの糸口がつかめると思う。そうすれば、しめたものである。 ぽん、かんちんぺけぺけぽん、かんちんぺけぺけ。 このマントラを日々、唱えるのだ。

マインドフルネスが広まった理由として考えられる事柄。 1 瞑想を定義しなかった 2 やり方を詳しく説明をしなかった 3 サマタをやらせなかった 4 目的をつくらなかった 5 宗教性を廃したといいいつつ、廃していないこと だと思うので、要は「瞑想をやらせなかった」から、「マインドフルネスが広まった」と言える。でもこれは、「瞑想のようなマインドフルネスとされる何か」であって「瞑想」ではない。似ているけどやっていることは全く本質的に異なる。

呼吸にとらわれ、不自然な呼吸になったりもする

ここ数日、瞑想中(AEO中)に目の開閉を行っている。以前は瞑想中に目を開けるなんて言語道断だと考えていたが、これは使える。 理屈は簡単で、これは列記とした催眠法なのだ。考察録2に付録した催眠誘導音声のスクリプトでも、目の開閉は使用されている。 目の開閉を繰り返すことで、深い変性意識状態に入っていく。僕の場合は、目を閉じるとAEOが発現する。なんというか、息継ぎをしてまたさらに潜っていく感じだ。

シャンバヴィムドラーをキメる時に最も大切なことは、「凝視する」ことである。催眠学ではこれは、凝視法と呼ぶ。 凝視というのは、ぼんやり見ることではない。グッと指向性、意思を持って眉間を見るのである。眉間に自らが突入するつもりで力を込めて凝視するのである。 そして、ピントは絶対にズラしてはいけない。 きちんとキマれば、必ず恍惚体験をする。

快感を局部で閾値を超えさせるか、身体で超えさせるか、頭で超えさせるか、の違いはけっこうある。それは体感的な違いよりも、精神的な違いのほうが僕的には大きい。また、仰臥位でやるか座ってやるかという姿勢も、精神に与える影響は大きい。ゆえに、AEOは他のEOとは切り離している。技術的にも。

数息観という、呼吸の数を数えていく瞑想技術がある。かなり一般的な技術だが、ほとんどの人が「数を数えること」が目的だと勘違いしているようなので、僕が数息観の極意を教えよう。 まず、数息観は自己催眠技術であると定義する。なんでも定義が大事である。しかし、瞑想においてこの定義をする者は限りなく少ない。なぜなら、なんのためにやっているのかがわかっていないからだ。 数息観は息を数えていくわけだが、どういう意味合いで数えていくのかが重要である。僕は上記で「数息観は自己催眠技術である」と定義した。つまり、数息観では催眠状態、または変性意識状態に入ることを目的とする。異……

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数息観という、呼吸の数を数えていく瞑想技術がある。かなり一般的な技術だが、ほとんどの人が「数を数えること」が目的だと勘違いしているようなので、僕が数息観の極意を教えよう。 まず、数息観は自己催眠技術であると定義する。なんでも定義が大事である。しかし、瞑想においてこの定義をする者は限りなく少ない。なぜなら、なんのためにやっているのかがわかっていないからだ。 数息観は息を数えていくわけだが、どういう意味合いで数えていくのかが重要である。僕は上記で「数息観は自己催眠技術である」と定義した。つまり、数息観では催眠状態、または変性意識状態に入ることを目的とする。異論は認めない。 瞑想技術が中途半端だと、「釈迦はそういったタイプの瞑想を否定した。だから最後は木の下で座って静かに自己を見つめる瞑想をしたのだ」などと抜かし始める。逆さまの世界をありのままに見るには、素面ではいけない。素面では逆さまの世界は逆さまのままなのだ。 瞑想でトリップできない人間は、頭でこれを理解しようとする。だから経典を勉強するわけだが、そうすると本当の答えからはどんどん遠くなっていく。皮肉なものである。でも当然である。 変性意識状態になることで初めて、世界は逆さまなのだと気づく。世界というのは客観的な世界のことではない。人間が形成する社会、世間、国、コミュニティ、そういったものだ。そうした人工的に作り上げたフレームワークのことだ。人間は集団になるとろくなことをしない。だからみんな苦しむ。まずはこれを取り除かなければいけない。そのためにいちばん手っ取り早いのが出家だ。強引な理論だが、仏教とは本来そういうものだ。 釈迦は自己催眠の達人だ。そうした人は、座って目を閉じた瞬間に深い変性意識状態に入る。瞑想で一度体験した境地にいくのは容易いのである。だから、凡人から見ればただ座って目を閉じたかのように見えるのがだ、実際には全く違う。すでに深いところに潜っている。そうして、自己を、世界を観察するのである。だから、これは凡人が思うような瞑想ではないのであるが、これが理解されない。凡人からは「ただ」座っているように見える。 催眠学における催眠技術では、数をカウントするものがある。エレベーターや階段が象徴に使われることが多い。これを使う。 僕がおすすめするのは、息を数えるとともに、エレベーターを1階ずつ降りていくというものだ。瞼の裏にしっかりと数字をイメージし、鼻で息を吸って腹に息をとどめる。苦しくなる前に数字を頭の中で声に出しながら、瞼の裏にイメージしている数字に向けて息を鼻からゆっくり吐く。数えるごとに、変性意識状態が深まっていくものとしてこれを行う。 大抵の人は100まで数え切ることはできないだろうが、一呼吸一呼吸を本気でやれば、10数える頃には変性意識の序の口くらいにはいるはずだ。瞑想はここからがスタートである。この状態になって初めて観察に意味が出てくる。 道元は只管打坐などと坐禅を極端に圧縮したが、まったくひどい話だ。

眉間に集中するのはそれはそうなんだが、眉間といっても目と目の間ってことじゃないし(その場合もあるが)、あくまで言語で表現するうえでは「眉間」になるってことであって、あのポイントは自分で頭蓋を探索して探しだすしかない。その一点は最初は恐らく米粒ほど小さいかもしれないが。蝶形骨洞とかあの辺を探索するといい。

5秒でいいから、ビタッーー!!! っと完全に身体と意識を止めてみ。 絶対ムリだから。 でも、止め続けられる心身の状態がある。 5秒間止められるようになったときは、瞑想の達人。 この繊細さ。

わかる人にはわかる。 バストリカー ↓↓ ↓↓ ↓↓ 快感 ↑↑ ↑↑ ↑↑ カパラバティ 爆発させよ。

ヴィパッサナー好きに最高の気づきと技術を教える。 瞑想していると意識は顔の前面に張り付いてくる。こうなるとDMNが発動してしまい観察などできない。意識はどこかを彷徨っている。 意識が顔の前面に張り付いてきたら、延髄に戻せ。 もう一度言うぞ、 意識が顔の前面に張り付いてきたら、延髄に戻せ。 これがわからないのならサマタが足りないから、ヴィパッサナーはやめて徹底的にサマタをやらないといけない。 以上。

誰も知らない。 知られちゃいけない。 実は、サマタができないことは。 ということで、ここだけの秘密を教える。 サマタが確実に上達する訓練法だ。 目を閉じたら一瞬で眉間を凝視し意識を固定し2秒動くな。この間、死ぬ気で集中するべきである。 そしたら目を開け、2秒休む。 また目を閉じ、さっきと同じように死ぬほど集中する。 これを繰り返す。 一般的には目を閉じてただ闇雲に一点集中しようとするが、普通は絶対無理だからやめておいたほうがいい。それで成功するのは1割未満の才能のある人たちだ。 小刻みに、全力の集中を何度も何度も繰り返す。これによって身体と脳みそに刻み込……

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誰も知らない。 知られちゃいけない。 実は、サマタができないことは。 ということで、ここだけの秘密を教える。 サマタが確実に上達する訓練法だ。 目を閉じたら一瞬で眉間を凝視し意識を固定し2秒動くな。この間、死ぬ気で集中するべきである。 そしたら目を開け、2秒休む。 また目を閉じ、さっきと同じように死ぬほど集中する。 これを繰り返す。 一般的には目を閉じてただ闇雲に一点集中しようとするが、普通は絶対無理だからやめておいたほうがいい。それで成功するのは1割未満の才能のある人たちだ。 小刻みに、全力の集中を何度も何度も繰り返す。これによって身体と脳みそに刻み込むのだ。 AEO体得前のサマタはサマタじゃない。 僕はそれを日々、自分の身体から思い知らされている。 本当のサマタは、AEO体得後に知ることになる。 驚くぞ。

AEOと瞑想は不可分だが、瞑想時に発生する気持ちよさはAEOではないから気をつけよう。結構勘違いしている人いそう。

ちなみに、この「目玉ぐるん」はAEOを体得していなくても、その効果を体験することは可能だ。 実際、僕はAEO体得前から目玉ぐるんは知っていて、ずっとなんだろうなんだろうと思っていたが、目玉ぐるんするとどう考えても一瞬で心身の状態が変化して光を体験するのである。 つまり、ムドラー的にこの「目玉ぐるん」を意図的にやっても効果は出るのである。 その証拠に、僕はAEO体得前に作った瞑想に関する資料には、この「目玉ぐるん」のことが書いてある。僕は目玉ぐるんはシャンバヴィムドラーを実践する過程で気づいた。資料ほしい人はDM。 玉木宏も知っていそうである。

サマタを極めんとする者どもよ。 この指にとまれ。 サマタの極意を伝えるぞ。 サマタの基本は一点集中だ。これは誰でもわかるだろう。 しかし、ただ一点に集中するだけでは足りない。 例えば眉間の場合。 眉間を凝視するが、凝視するべき正しいポイントがある。 このポイントとはなにか? これは場所ではない。眼球の状態だ。 眼球を眉間に向けて微細な力で引き上げる=眉間を凝視する。ただぼんやり見るのではない。凝視する。 これでわかった気になってはいけない。こんなことはみんなやっている。でも、これであっさり変性意識状態に入れる者はそうはいない。 なぜか? 闇雲に眉間を凝視……

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サマタを極めんとする者どもよ。 この指にとまれ。 サマタの極意を伝えるぞ。 サマタの基本は一点集中だ。これは誰でもわかるだろう。 しかし、ただ一点に集中するだけでは足りない。 例えば眉間の場合。 眉間を凝視するが、凝視するべき正しいポイントがある。 このポイントとはなにか? これは場所ではない。眼球の状態だ。 眼球を眉間に向けて微細な力で引き上げる=眉間を凝視する。ただぼんやり見るのではない。凝視する。 これでわかった気になってはいけない。こんなことはみんなやっている。でも、これであっさり変性意識状態に入れる者はそうはいない。 なぜか? 闇雲に眉間を凝視しても意味ないからだ。それでは足りない。 眉間を眼球するが、凝視する眼球の正しい状態というものがある。ではその正しい状態とはなにか? 眼球の正しい状態とは、眉間を凝視すると身体全体が連動して固まるような、なくなるような、浮遊感を生むような、快感を生むような、ある種の空性を感じるような、そのような状態である。 つまり、 「眉間を凝視する」 という言葉が指し示すのは、 「身体全体の状態をある一定の状態にする眼球の状態がある。それは眉間付近を凝視することで可能になるが、もっと言えば全身運動である。身体全体がその状態になる場所を眉間付近に探し、見つけ、その身体全体の状態が一切変わらないように意識も身体も眼球も固めて保持しろ。絶対動くな」 ということなのだ。 身体も意識もなくなってしまうような感覚。 まぶたのうらの暗闇の中に、意識だけがただぼんやりと浮かんでいるような感覚。 無重力状態になり浮かんでいるような感覚。 「いけず〜」な感覚。 そのような感覚が生まれる眼球と身体の状態を作れ。そして固めて保持しろ。 眉間を凝視しろ。 ニミッタが見えるようになったらその光を逃すな。自分から光に突っ込んでけ。頭が少し前のめりになるくらいおでこから突っ込んでいけ。

シャンバヴィがきちんと決まれば必ず変性意識状態に突入するし、何かしらの恍惚体験をする。それはEOであることがほとんどだ。 しかし、世間を見渡してもシャンバヴィに関してそのようなことを話す者は見ない。 ここ数ヶ月でやっとで僕も実感してきたが、シャンバヴィの肝はピントの固定なのだが、普通はこれが非常に難しい。 例えば催眠学ではシャンバヴィは凝視法と言われ、古典的な催眠法であるが、通常は催眠をかける側が指なりペンライトなりを使って一点集中させ、声で誘導しながら対象者のピントを固定して催眠にかける。 凝視法参考動画:

ひと呼吸ひと呼吸を芸術だと思ってやれば、瞬間瞬間が芸術になるわな。 例えば今の時間、太陽が東からだんだんと登ってくる。窓の外に見える刻々と変わっていく光のグラデーションを眺めながら、ひと呼吸ひと呼吸を芸術だと思ってやる。 すると、目の前に広がる光景に勝手にポジティブな意味付けがなされる。 技芸だけでは少し物足りない。人は芸術がいいのである。 芸術は一服で気づく。

訓練前に食事を摂らないというのは非常に重要。 食事を摂ってしまうと、身体は消化と吸収を始める。内臓は活発に動き、体の中では消化と吸収が始まり、各栄養素は血液の中を通って全身を巡り始める。 そのような身体内部の活発な運動はノイズになる。そのノイズが少なからず意識に入り込んで、快感を見つけたり感じたり、身体のどこかのポイントへの集中を邪魔する。 瞑想では身体を停止させなければいけない。身体とは当然、内臓も入る。 身体を停止させるための努力はできる限りやったほうがいい。瞑想前に食事を摂らないことは必要な投資である。終わってから食べればいいだけだ。 起きたらその……

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訓練前に食事を摂らないというのは非常に重要。 食事を摂ってしまうと、身体は消化と吸収を始める。内臓は活発に動き、体の中では消化と吸収が始まり、各栄養素は血液の中を通って全身を巡り始める。 そのような身体内部の活発な運動はノイズになる。そのノイズが少なからず意識に入り込んで、快感を見つけたり感じたり、身体のどこかのポイントへの集中を邪魔する。 瞑想では身体を停止させなければいけない。身体とは当然、内臓も入る。 身体を停止させるための努力はできる限りやったほうがいい。瞑想前に食事を摂らないことは必要な投資である。終わってから食べればいいだけだ。 起きたらそのままベッドや布団の上に座ってやるのが理想だ。最も質の高い訓練が行える貴重なタイミングである。 なぜなら、誰もがその時は変性意識状態だからだ。 部屋の電気はつけずにな。 アイマスクもオススメだ。

いいAEO瞑想するためにはな、ニュース見るの辞めたほうがいいよ。 無意味だから。 必要なのは自分の周りのことであって、知らん誰かのことじゃない。 ましてや国や世界のことでもない。 幻想から抜けだせ。

瞑想でもマインドフルネスでも坐禅でもなんでもいいが、どれだけ深い変性意識状態になれるか? それだけなんだよ。それぞれの言葉の細かい定義はどうでもいい。変性意識状態のレベル、それだけだ。

アブスウェイブはな、やさし〜く、やさし〜く、なめらか〜にやるのですぞ〜。で、重要なのは最後の最後の下部まで意識をとぎらせないこと。筋トレと同じやな。そういった意味で、ガチの近トレーニーはアドバンテージがある。

俺がアブスウェイブでEOしたときは、みぞおち付近をネチネチ途切れることなくグルグルウニョウニョやさし〜く10分くらい一心不乱でノリノリで練ってたかなぁ。そしたら、突然来て頭まで上がった。

眠りから 意識が覚めたら そのまままぶたを開けず 仰臥位で身体全身に微弱な振動がおきてないかチェックしてみな 振動をしていると気づいたら、その振動に全集中 一体何が起きるのか、明日の朝が楽しみだな、尸林の瞑想ギャングたちよ

目をつぶって座ったとき、意識と身体が合ってねぇなぁと思う人は片鼻呼吸やるといいい。意識と身体が合う。ヨーガでいうナディショーダナだな。イダー、ピンガラーとか考えなくていい。これは、左右の鼻の呼吸感のバランスの調整、右鼻呼吸時は交感神経系の活性化傾向、左鼻呼吸時は副交感神経系の活性化傾向というのを使って、自律神経を調和していく。混ぜあわせる感じだ。例えばな、目を閉じたり開けたり繰り返してみな。それだけでなんかボヤッとしてくるだろ。自律神経はいじくれるってことだ。こうすることで、なんか知らんが身体と意識がガチッと合う。ズレたらまたやれば整う。

基本に忠実にな。シンプルに考えるのだ。AEOは頭頸部の操作だ。頭頸部のみでオーガズムできる。しかし、頭頸部を刺激するシャンバヴィムドラーのみでAEO開発するのはたぶんかなり根気がいるし、困難を極める。ゆえに、胴体の正中線上にあるポイントと合わせて開発する。その胴体のポイントのうち、もっとも基本となる、多くの人にとってわかりやすい感覚を生み出してくれるのが臍下丹田だ。いやいや俺は腹、いやいや俺は胸だという人は、その部分と合わせて開発するのがいい。僕の場合はシャンバヴィムドラーと腹胸だ。だから、俺の場合は初っ端から性的な快感ではなく、ピュアな快感が爆発した。

圧倒的なサマタがなければ究竟次第も半端になる。知覚されるノイズを減らせ。止まるのだ。各モジュールを止めるのではなく、身体全部をひとまとまりとして止めろ。

瞑想するために姿勢を整えないといけないというのは不便極まりない。何かをするために何かをしなきゃいけないってのは、本末転倒だ。

起きてすぐの瞑想は、自分の過去すべてをかけた実践だ。その他の時間はすべて座間。実践に備えさまざまな調整をするのだ。そして翌日、また人生のすべてをかけて実践をする。これがルーティンになれば止められない止まらないだ。

「正しい目的」「それを達成するための手法」「その手法の原理」の三要素が揃わなければ、結局は「何を」「どうやって」「なぜそうするのか」が曖昧なまま進んでしまうため、望むゴールには到達しにくい。仏教でいう「無明」は「真の実態(四諦や縁起など)を知らないこと」を指すが、日常レベルでも「正しく知る(原理の理解)」「正しく方法を用いる(具体的手法)」「正しい方向を見定める(目的)」が欠ければ、根本的に道を見失うという点では同じである。 たとえばAEOの場合を例示すれば、以下のとおりである。 1.正しい目的 「エロの延長と考えるのか」「純粋な快感を追求したいのか……

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「正しい目的」「それを達成するための手法」「その手法の原理」の三要素が揃わなければ、結局は「何を」「どうやって」「なぜそうするのか」が曖昧なまま進んでしまうため、望むゴールには到達しにくい。仏教でいう「無明」は「真の実態(四諦や縁起など)を知らないこと」を指すが、日常レベルでも「正しく知る(原理の理解)」「正しく方法を用いる(具体的手法)」「正しい方向を見定める(目的)」が欠ければ、根本的に道を見失うという点では同じである。 たとえばAEOの場合を例示すれば、以下のとおりである。 1.正しい目的 「エロの延長と考えるのか」「純粋な快感を追求したいのか」「深い変性意識状態による身体革命を狙うのか」「覚醒なのか」など、ゴール設定が異なればモチベーションやアプローチは大きく変化するだろう。 2.それを達成するための手法 骨盤内や頭頸部に意識を置く身体操作や、瞑想による変性意識の深め方などが具体的に示されていなければ、いわゆる「形ばかりの真似事」に終わってしまうのである。 3.その手法の原理 神経伝達物質はどう関与するのか、脳波や自律神経はどう変化するのか、なぜエロではなくても強烈な快感を得られるのかといった仕組みを理解できなければ、行法や技法を継続する根拠も曖昧になってしまうのである。 これら三つを押さえることで、「なぜ効果があるのか」「どれくらい続ければ成果が出るのか」「どこを修正すれば壁を超えられるのか」が見えてくる。そうなれば「無明」状態にならず、主体的に検証と調整を行いながら進んでいけるようになるのである。結局のところ「何のために(目的)」「どのような仕組みで(原理)」「いかなる方法で(手法)」を理解して進むことこそ、あらゆる行法や技術において重要なのであるが、尸林の瞑想ギャングたちよ、君の日々の訓練はどうだい? 三位一体と言えるか?

呼吸の質は、一定の量で一切ブレることなく鼻から息を細く長くどれだけの時間出し続けられるか。に比例すると思ってる。

ヨーガや瞑想や仙道やらなんやらやっていた人ほど、尸林の異質さがわかるだろう。その差異こそが、尸林が本物たる所以。

瞑想はずっとスポーツだって俺は言ってんだけど、それは座るってことについてもまったく同じなんだよ。瞑想時に座る姿勢について多くの人が悩むだろうが、細かいこと考え過ぎなの。身体をモジュールで考えちゃってる。腕をどーの足をどーの背骨をどーの骨盤をどーの。これではいつまでたっても永遠に姿勢がキマらない。汎用性がない。重要なことを見落としているからだ。最も重要なこと、それは重力。これでわかる人はわかるはずだ。座りながら考えるのだ。

たばこでも酒でも何でもいいが、ニコチンが効いてくる過程、アルコールが効いてくる過程、これを徹底的に観察して見切る。自分の身体でどういった生理反応が起こるのか? それを見つける。瞑想でも全く一緒。

変性意識に入るのは目的ではなく準備。ここからが本番。

座って変性意識に入れる人間は少ない。だから最初は仰臥位で自律訓練法などをやって徹底して変性意識が何たるかを知る。そして、その状態に何でもいいが名前をつける。ここでは「尸林」としよう。そしたらできるだけそこにとどまる。 次に瞑想するとき、鼻から息を大きく吸い、頭の中で「尸林」という文字を思い浮かべつつ(頭の中で)声にも出しつつ鼻から息を吐き出すを何度かやる。そうすると簡単に「尸林」と名前をつけたレベルの変性意識に入れるようになる。人間は単純よ。ハックするのだ。

音楽鑑賞にも映画鑑賞にも聴き方、観方ってものがあるが、これはとにかく量をこなさないとわからないし身につかない。スポーツと一緒。瞑想と一緒。なんでも圧倒的な量をこなさいないと本質は見えてこない。アタリマエのことだ。

呼吸法は呼吸を忘れるまでの過程のことだろうな。

サマタができない人にはサマタの意味がわからないが、サマタをできる人は限りなく少ないから、世の中のほとんどの人はサマタがわからない。でもそのような人に限ってサマタができていると思う傾向にある。何事も、半端者にこそできたと思う故に半端者なのである。できる人間はできるとは思わないが故に成長し続けるのである。これ人間の常なり。

あくび系EO覚醒前にぶっ飛びの単発恍惚体験を何度かしているが、毎日の瞑想は淡々としたものだった。この単発のぶっ飛び恍惚体験は、大体の人にとっちゃいわゆる「法悦」とか言われるやつだから、場合によっちゃ「悟った」とか「覚醒した」とかアホなことをいう輩もいるだろう。そんな人間にはこう言ってやる。キノコ食って出直してこい。

俺はAEOでぶっ飛んで瞑想かぶれにこう話しかけるのさ。これがアマチュアと尸林の違いよ。

AEO行は変性意識に入れなきゃしょうがない。とりあえず、鼻呼吸を1から100まで数えてみな。吸って吐いてで1だ。それでおそらく15分くらい。これで入れるかどうかが目安だ。ほとんどの人間は途中で意識が飛んじゃうと思うが。

君が知ってる仏教は仏教じゃない。だから尸林の瞑想を体感したいなら、その仏教とやらをまずは捨てることだな。邪魔でしかない。また、君が知ってるヨーガもヨーガじゃない。だから尸林の瞑想を体感したいなら、そのヨーガとやらをまずは捨てることだな。邪魔でしかない。さらに、君が知っている瞑想は瞑想じゃない。だから尸林の瞑想を体感したいなら、その瞑想とやらをまずは捨てることだな。邪魔でしかない。最後に、君が経験してきた快楽とやらはゴミみたいなものだ。だから尸林のAEOによる快楽を体感したいなら、そのゴミのような快楽経験をまずは捨てることだな。邪魔でしかない。つまり、君の常識とやらをすべて捨てろということだ。

やはり、覚醒前の瞑想で人は調子に乗る。それがよくわかるメモだ。本当の修行は覚醒後に始まる。瞑想は綱渡り。ともすれば人はなにかやった気になる。瞑想は危ない世界だ。万人がやるべきことではない(ガチ)。

超越瞑想? 単なるハミング瞑想で超越するわけねぇだろ。どんだけレベル低いことやっとんねん。

AEOやEOに大切なのは、吸気と呼気のあいだより、呼気と吸気のあいだ。頭部をグッとやって全集中だ。

スポーツをやっていた人ならわかると思うが、始める前に円陣を組む。ほっぺを叩いて気合をいれる。声を出す。などなど、これらは「祈り」みたいなものである。これは変性意識に入るというよりも、いわゆる気持ちを切り替えるため。戦闘モードにするため。その気になるため。役者が役になりきるのと同じ。これらももしかしたら変性意識の一種といえるのかもしれないが。ただ、試合中に訪れる「フロー状態」というのはこうした「気持ちの切り替え」とは違う状態。すべてが完璧に行われるのであるが、その時の状態は言ってみればロボットと変わりがない。

ドラッグもしらん、変性意識もしらん、催眠もしらんという学者が書く仏教本は読まないほうがいい。オカルトと何も変わらん(ガチ)。

瞑想行ってのはなんなのかといえば、一言でいえばトリップするためのボディハッキング。これでしなかない。これを否定する者はモグリ確定。勉強と体験が足りないから、人生33回やり直し。

瞑想は「木を見て森を見ず」になりがち。身体の各モジュールに注目するのはいいことだが、身体はまるごと一つで身体なのだ。モジュールばかり見ていると、延々と各モジュールを調整し続けることになり、それはつまり身体ひとつでまとまっていないということなのである。

インドに行かなきゃ、東南アジアの森に行かなきゃ瞑想を学べない。そうだ! 行こう! と思った時点で積んでる。考え方が間違っている。自分の身体と脳みそを忘れている。誰かが教えてくれると思ったら大間違い。

呼吸法ってのはいろいろあるけど、そもそも論で自分の呼吸が糞だなって自覚できないとスタートにも立てない。つまり、ほとんどの人はスタートすらしてない。

呼吸法に限らず、「自分ぜんぜん駄目だな」って気づかないと成長はない。そこで折れるような人間は経験が足りない。息を吐く時は苦しくてもゆっくり吐け。苦しいのは効いてる証拠だ。いずれ楽になる。なんだってそういうものだ。楽な方法でやっていて上達するわけがない。追い込め。絶望は希望さ。

「-3→0」のドラマチック感は当人も周りも盛り上がるのに、「+1→+5」は数値的には上なのに地味に扱われる。成果だけ見れば後者の方がスゴいのに、なぜかインパクトは前者ばかり。これは企業の決算についても言えるし、瞑想についても言える。ヤンキーがあいさつするだけで褒められる。

思考がどうのとか自我がどうのとか言ってる瞑想家は3流どころか初心者。残念だが、本筋はそこじゃない。そうした目線で世間を見てみると、そんな瞑想家ばっかりだということに気づくだろう。ということは、どういうことか考えてみな。

身体には様々なモジュールがある。瞑想で各部位を観察してそれぞれ細かく整えていくのが初心者。すべてをAというひとまとめの感覚として捉えるのが上級者。何も考えないのが本物。

アブスウェイブをするとき、アブスといわれているから当然、腹筋を動かすだろうが、前があるってことは後ろもある。つまり神経を刺激できるのは前(腹筋)からだけじゃないってことだ。 アブスをやる際は、腹筋をへこませると同時に背骨を前に出すようにやる。そうやって、腹筋と背骨を使ってその間の神経や内臓を挟み込んで刺激せよ。サンドイッチだ。

アブスウェイブ+シャンバヴィームドラー+音楽(ハードテクノ、サイケトランス)は、性的ヨーガと同等、もしくはそれ以上の果報があると思う。

尸林でアナパナやっている人はいるかな? アナパナの極意を教えよう。アナパナをやるとき、鼻孔に意識を集中し、息の出入を見るというのが普通だが、こんな退屈なことで集中を継続できる人間は少ない。故に、アナパナで変性意識に入ることは、普通難しい。何かをやるとき、人間が面白がって集中を継続するためには、少しの難しさが必要になる。ゲームだってそうだ。簡単すぎるゲームは誰もやらない。適切な難しさがあるから、人間はハマる。アナパナでもこれを利用する。 アナパナをやるとき、ナディーショーダナを一緒にやる。ノーハンドで。意味わからないだろ? ノーハンドで片方の鼻孔からだけ息……

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尸林でアナパナやっている人はいるかな? アナパナの極意を教えよう。アナパナをやるとき、鼻孔に意識を集中し、息の出入を見るというのが普通だが、こんな退屈なことで集中を継続できる人間は少ない。故に、アナパナで変性意識に入ることは、普通難しい。何かをやるとき、人間が面白がって集中を継続するためには、少しの難しさが必要になる。ゲームだってそうだ。簡単すぎるゲームは誰もやらない。適切な難しさがあるから、人間はハマる。アナパナでもこれを利用する。 アナパナをやるとき、ナディーショーダナを一緒にやる。ノーハンドで。意味わからないだろ? ノーハンドで片方の鼻孔からだけ息を出入させるのだ。やり方は以下だ。 ノーハンドで右の鼻孔から息を吸う努力をし、左の鼻孔からノーハンドで息をだす努力をする。これだけなのだが、普通のアナパナとは段違いに深いところにいける。理屈は簡単だ。普通のアナパナだと、息を観察するハードルがない。アホでもできる。だから惰性になる。集中が続かない。一方、ノーハンドで片方の鼻孔から息を出入させるにはかなりの集中がいるが、続けていると確かに片方の穴からだけ息が出入しているように感じられてくる。実際に息が片方の鼻孔からのみ出入しているわけではないだろうが、片方の鼻のトンネルに意識を集中していると、もう片方の鼻のトンネルの感覚はなくなってくる。ここにゲーム性がある。

アブスもシャンバヴィも、いってみれば方便である。アブスとシャンバヴィをやらないとあくび系EO、AEOできませんとなると、そんな不便なことはない。動きが自然で最小になるようにするのが、覚醒者の訓練かもしれない。そうなると、やはり頭頸部なのである。

1のことを10に増幅して話す人間がいる(悪意はない)。それを聞いた人間は、10なんだぁと受け取るが、実際には1なのである。このギャップに人間は殺られる。瞑想界隈は特にこれ。

リラックス、アンビエント、ダウンテンポな音楽はAEO行にはまったく使えないぜ。世間では「瞑想用BGM」なんて建付けでそんな曲がゴロゴロしているが、我々は世間ではなく、尸林にいるのだ。常識を捨てろ。そこんとこ、夜露死苦!!!

覚醒するまでにはいろんなトラップがある。「あれ、シャンバヴィムドラー(またはアブスウェイブ)で気持ちいいぞ! これはもしかして、無限の快楽とやらを手に入れたのではないか!」とな。でもそんなときは自分にこう問えばいい。「これは、オーガズムなのか?」とな。

何かを始めるとき。こんな言葉をよく聞くな。「一日5分からでいい」「少しずつやればいい」。 これらは全て意図がある。それは、君の「時間」と「お金」を奪うという意図だ。君のやる気や継続力を高めるためじゃない。時と金を奪うためだ。 こんなのは考えれば当たり前の話である。 毎日継続できないような人間。毎日5分しかやれないような人間。誰かに言われないとやれない人間。誰かとじゃないとやれない人間。こういうタイプの人間がお客だと儲かるんだよ。ろくでもないサービスやコンテンツを売りつけても、ありがたがって買ってくれる。winwinだ。表面的には。しかし、お客は何も得るこ……

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何かを始めるとき。こんな言葉をよく聞くな。「一日5分からでいい」「少しずつやればいい」。 これらは全て意図がある。それは、君の「時間」と「お金」を奪うという意図だ。君のやる気や継続力を高めるためじゃない。時と金を奪うためだ。 こんなのは考えれば当たり前の話である。 毎日継続できないような人間。毎日5分しかやれないような人間。誰かに言われないとやれない人間。誰かとじゃないとやれない人間。こういうタイプの人間がお客だと儲かるんだよ。ろくでもないサービスやコンテンツを売りつけても、ありがたがって買ってくれる。winwinだ。表面的には。しかし、お客は何も得ることができない。時と金を失うだけだ。自覚なく。 じゃあ、尸林はどうだ? 「瞑想は5分でいいぜ!」「アブスウェイブなんて1日5回でオーケー!」「シャンバヴィは週一でいいよ!」なんて言うだろうか? 絶対に言わない。座れ座れ座れ、とにかく座れ。仕事辞めて座れ。これが尸林だ。 当たり前のことを当たり前に言う。 それが尸林だ。

つまりは、眠くなるってことは眠くなる状態を作ってしまっているということで、眠くなる状態ってどんな状態かっていうと顔の筋肉が脱力されている状態。座位で頭部が脱力し過ぎると意識が頭部前面に張り付き、やがて飛ぶ。だから、頭部の筋肉を全体的に後方に引き締める。そうすると意識は延髄から前方を見ているような状態になる。この状態は能動的だから眠気はやってこない。

俺は人が言う「快感」の定義がよくわからないけど、今思えば俺が覚醒前に瞑想で感じていた快感はゴミ。快感というのもおこがましいくらい、ゴミ。それだけ自分の身体を観察していなかったということだと思ってる。だから、覚醒前の恍惚体験はすべてとうでもいいし、たぶん技術的なヒントにもならない。あるところまではグラデーション的に進歩していくけど、覚醒した途端、一気に飛び越える。ゆえに、覚醒。

覚醒という言葉がパワーワード過ぎて、覚醒前の瞑想ギャングが想像しているものと、実際のものは全く違うぞということを強調しておかなければいけない。

身体と意識

眼球、軟口蓋、頭頸部、横隔膜など身体操作

最近、ちょっとハマっている瞑想技術があるので共有させていただきたい。基本的には瞑想に適した心身の状態を作り出すための技法と言えるだろう。 わかりやすいように、ヨーガで用いられる概念を使用して説明する。 ヨーガでは「スシュムナー」と言われる、会陰のムーラダーラチャクラから頭頂のサハスラーラチャクラまでを貫く1本の筒を瞑想時のイメージングで用いる。チベット密教ではアヴァドゥーティ(中央脈)。これを使う。 まず、直径5センチくらいの筒が会陰から頭頂まであると思い込む。 この筒を、下からジワリジワリと絞り込んでいくとイメージするのだが、重要なのは実際に筋肉もごく……

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最近、ちょっとハマっている瞑想技術があるので共有させていただきたい。基本的には瞑想に適した心身の状態を作り出すための技法と言えるだろう。 わかりやすいように、ヨーガで用いられる概念を使用して説明する。 ヨーガでは「スシュムナー」と言われる、会陰のムーラダーラチャクラから頭頂のサハスラーラチャクラまでを貫く1本の筒を瞑想時のイメージングで用いる。チベット密教ではアヴァドゥーティ(中央脈)。これを使う。 まず、直径5センチくらいの筒が会陰から頭頂まであると思い込む。 この筒を、下からジワリジワリと絞り込んでいくとイメージするのだが、重要なのは実際に筋肉もごくごく微弱に絞り込むということ。下から順に、とにかく実際の筋肉の圧力を感じながらサハスラーラまで絞り込む。ゆっくりと、焦らずに。そして、快感が強くなるように身体を繊細に動かすのだが、腰を反る(または胸を張る)。快感が発生する腰の角度、背中の反り具合はどこか、快感というフィードバックを基に調整する。 と、いまこれを書いていてセレンディピティが起こる。 高藤聡一郎・著『仙人瞑想法』の中で著者は、大周天を行うときは、イメージするだけではなく、実際に筋肉を繊細に動かすのだ。みたいなことを言っていた。彼の仙道では下腹部を動かすことで熱を発生させ、それを頭頂まで持ってくる。その際に重要なのは、イメージだけでは意味がなく、実際の筋肉を動かさないといけない。 みたいなことを言っていた。いま本が手元にないので正確に引用できないのだが、読んだ時はめちゃくちゃ理解できて感動した。多くの人はイメージだけ行うが、それでは効果は半減。実際に筋肉を動かすのだ。AEOにおいても、表情筋などの頭頸部の筋肉によってAEOの動きを繊細にコントロールする。僕の場合は眉毛を上にピクッと上げるなどすると、下から上に快感とともに心地よい痺れ様の体性感覚が上昇してくる。身体の左側の快感が足りないなぁと思えば、左の耳をピクッと動かすと、身体の左側に心地よい痺れ様が快感とともに充満していく。 AEO中はこうした身体の動きが実は積極的に行われているので、僕の中ではスポーツみたいなものとして解釈している。学生時代はサッカーをしていたのだが、その時に身体に染み付いた筋肉を動かす時の意識の使い方や、数え切れないほどの変性意識状態への移行体験など、AEO体得にかなり役に立ったと思っている。ガチ筋トレをしている人なんかは、AEOを体得しやすいかも? とか勝手に思ってる。狙った部位の筋肉を正確にコントロールすることが重要なのだ。逆に言えば、AEOを体得すれば筋トレの質が驚くほど上がる。 考察録2で天武氏は、肥田春充の「聖中心落節(エナジーオーガズム)」の話を紹介しているが、肥田の場合もやはり身体の中央を神聖視し、実際に筋肉を動かすことで達成している。腹の中央に力を込め、腰を大きく反る。ただ、彼の場合はかなり激しく身体を動かす。この点は「骨盤内のあくび」と異なるが、動きそのものの本質は同じである。同様に、僕が考察録2で紹介している「アブスウェイブ」もまた、動きの本質は同じである。 これらのことを考えると、体の中心線をイメージし、その周辺の筋肉を実際に動かすことで意識の一本筋を会陰から頭頂まで通して固定し、腰を反ることが「骨盤内のあくび」タイプのエナジーオーガズムにとって重要なのだということがわかってくる。これができてくると、AEO体得は間近と言えるのかもしれない。 瞑想はフワッとしたものではなく、こうした具体的な理屈と動作によって行われなければいけない。理由は簡単で、自分の身体を使うからだ。こんなシンプルなことなのに、精神面ばかりが注目されてしまい、宗教性を帯びる。スピる。これでは質の高いトリップはできない。 タイトな集中によって筋肉を意のままに動かし、狙った神経を刺激し、脳内麻薬を出す。 これが正しい瞑想技術である。

「眼球と瞑想」について書こうと思う。このことについて語る者はほとんどいない。というか、僕の知る限り天武氏のみである。 眼球の状態は瞑想の深さを示す。 そう言って差し支えない。 クンダリニー覚醒法であるシャンヴァビームドラーとAEOには共通することがある。それは眼球の動き、状態である。 ポイントは「眼球の後ろ」。 これはAEO体得前、シャンヴァビームドラーを実践する中で気づいたことなのだが、シャンヴァビームドラーがうまく行く時、また深い瞑想状態に入ったとき、僕の場合は眼球が後ろを向いてガチッと固定され安定する。もちろん、実際に眼球が後ろを向いているわけでは……

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「眼球と瞑想」について書こうと思う。このことについて語る者はほとんどいない。というか、僕の知る限り天武氏のみである。 眼球の状態は瞑想の深さを示す。 そう言って差し支えない。 クンダリニー覚醒法であるシャンヴァビームドラーとAEOには共通することがある。それは眼球の動き、状態である。 ポイントは「眼球の後ろ」。 これはAEO体得前、シャンヴァビームドラーを実践する中で気づいたことなのだが、シャンヴァビームドラーがうまく行く時、また深い瞑想状態に入ったとき、僕の場合は眼球が後ろを向いてガチッと固定され安定する。もちろん、実際に眼球が後ろを向いているわけではないが、そのような感じになる。 眼球を上に向けて白目を剥き、更に後ろへぐるっとやるつもりで眼球を動かすと、安定したポジションが見つかる。無理やり眼球をこの状態にしてもいいっちゃいいのだが、自然とこの状態になることが理想だ。 逆に言えば、眼球があっちこっちに動き、安定して固定されなければ身体は調和せず、精神もマインドワンダリングが止まらないということになるが、これは観察すれば用意に に確認できるだろう。 考察録1では眼球の後ろについて考察されているが、これを科学的に解明しようとするのは困難を極める。体感として眼球の裏が変性意識状態、またAEO発現に関わっているのは間違いなさそうではある。 AEO体得後、天武氏とお互いのAEO時の頭部の様子を動画にとってシェアし合ったことがあるのだが、その時驚いたのが、眼球の動きが同じだったことである。閉じたまぶたの後ろでグルッと眼球が動いているのがありありと見て取れた。 みなさんも瞑想するとき、眼球の裏に注意してみるといい。新たな知覚の扉が開かれるかもしれない。

1分間(30秒でもいい)、目を閉じて眉間を凝視する(強烈に意識を向ける)。身体も眼球(ピントも)も意識も絶対動かしてはいけない。60から0までカウントをする。 これでたいていは軽めの変性意識状態に入れる。古典的な自己催眠法である。でも、やればわかるが、眼球を動かさないことは実はとても難しい(たいていはピントを動かしてしまう)。だから毎日継続して行うのである。筋トレと同じ。

ナウリクリヤについて書こう。 ナウリクリヤはヨーガで腹筋をグリグリさせるアレだ。何年か前にヨーガにハマった片岡鶴太郎がマスコミの前で披露していた。 クリヤってのは「浄化」って意味で、ナウリってのはウネウネとかグリグリとか「うねる」というイメージだ。要は見たまんまなのだが、僕はこの「浄化」という言葉に違和感がある。だって、「浄化」って言われて、その定義、意味するところ、つまりは「それをすることで、身体にどのような反応が起こるのか?」ここがまったく不明だからだ。 たぶん、「浄化」と言われると、多くのは「ん?」と思いつつも深い疑問も持たずにそのまま「ああ、浄化……

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ナウリクリヤについて書こう。 ナウリクリヤはヨーガで腹筋をグリグリさせるアレだ。何年か前にヨーガにハマった片岡鶴太郎がマスコミの前で披露していた。 クリヤってのは「浄化」って意味で、ナウリってのはウネウネとかグリグリとか「うねる」というイメージだ。要は見たまんまなのだが、僕はこの「浄化」という言葉に違和感がある。だって、「浄化」って言われて、その定義、意味するところ、つまりは「それをすることで、身体にどのような反応が起こるのか?」ここがまったく不明だからだ。 たぶん、「浄化」と言われると、多くのは「ん?」と思いつつも深い疑問も持たずにそのまま「ああ、浄化ね」と納得してしまっている気がするのだが、ここに罠がある。だって、なんのために行うのかが理解できていない。浄化のためとはいえ、その浄化ってやつがわからないのだから、それはその人の世界には存在していない。よって、気づくことができない。 これではナウリクリヤの効果は得られない。まったく得られない。どこぞの有名ヨガティーチャーが「ナウリはパフォーマンスの意味しかない」と言っていたのを覚えているが、「なるほど、原因と結果を考えずにヨーガをするとこうなるのか」と、因果の法則に妙に納得した。 ヨーガは本質を突き詰めるほどに生理学だなと実感する。つまり、すべてのことにやる意味がある(現代体操ヨガの話はしていない。上記のティーチャーは現代体操ヨガの人である)。「身体や意識をこうしたら、こういう反応がでる」。ヨーガはこれを突き詰めている。そして、そうしたヨーガ生理学はなんのためかというと、サマーディに入るためだ。こうしたヨーガ生理学の極地がクンダリニー覚醒であり、それを仏教が取り入れた結果、後期密教となり、それをチベットがすべて受け継ぎ、きれいにチベット密教として体系化したのである。すごくざっくり言えばこうした流れがある。 ヨーガ生理学を理解していれば、「ナウリはパフォーマンスだ」などといった考えはとてもじゃないが出てこない。だって、ナウリもめっちゃキマるからだ。普通に考えればわかる。腹筋をあんなにグリグリさせて、迷走神経が張り巡らされている太陽神経叢を直接刺激するのだ。ああ、それをビジュアル化するだけでモワモワとしてくる。ちなみに、『考察録2』で紹介しているアブスウェイブをやるときは、みぞおちから引っ張るとよい。みぞおちの奥に快感ポイントがある。 ナウリとはつまり、「太陽神経叢を直接刺激して快感を得る方法」である。これをやるとすぐに呼吸が楽に、深くなり、体全体の熱があがり、心地よい快感に包まれ身体の力が抜ける。 こうした身体の状態はまさに瞑想に適した状態なのである。つまり、瞑想をするためのナウリを行ってキマるのだ。すべてに理由がある。しかし当然だが、ヨーガの中には無意味な事柄もたくさん混じっている。それはインド人のリップサービスゆえ。8割り引きで受け止めればいい。そうして純粋な情報だけ抽出して実践すれば、インドの狂気を体験できる。 どうだろうか? 「浄化」と言われるより、だいぶ理解できるのではないかなと思う。 インドはヤバい!(語彙)

呼吸について書こうと思うが、僕が言う呼吸はいわゆる「呼吸法」ではない。「日々の呼吸を完璧なものにすること」こそが、僕にとっての呼吸法なのだが、これは覚悟がある人にしかおすすめしない。24時間365日、起きている間はひと呼吸ひと呼吸を意識して行うため、精神的にも肉体的にもAEOを体得するまではかなりつらいと思うが、AEO体得後は驚くスピードで呼吸が完璧に近づいて日々変化し、常人では体験することができない奇跡的な呼吸ができるようになる。 僕の呼吸法はいたってシンプルである。日々の呼吸をすべて鼻呼吸でのウジャイ呼吸にし、常に下腹部(丹田)の動きと連動させたゆっ……

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呼吸について書こうと思うが、僕が言う呼吸はいわゆる「呼吸法」ではない。「日々の呼吸を完璧なものにすること」こそが、僕にとっての呼吸法なのだが、これは覚悟がある人にしかおすすめしない。24時間365日、起きている間はひと呼吸ひと呼吸を意識して行うため、精神的にも肉体的にもAEOを体得するまではかなりつらいと思うが、AEO体得後は驚くスピードで呼吸が完璧に近づいて日々変化し、常人では体験することができない奇跡的な呼吸ができるようになる。 僕の呼吸法はいたってシンプルである。日々の呼吸をすべて鼻呼吸でのウジャイ呼吸にし、常に下腹部(丹田)の動きと連動させたゆっくりとした呼吸を行う。起きている間は、常にひと呼吸ひと呼吸、横隔膜のストレッチを意識する。これだけである。 「呼吸法」というからには、当然「呼吸」がメインだと思うのが99%の人だろうが、それは違う。呼吸をするのではなく、呼吸筋を鍛えるのである(特に横隔膜)。呼吸するときは息を吸って吐くが、僕の呼吸は横隔膜を目一杯伸ばすことを目的とする。息を吸って吐くのは目的ではなく、横隔膜をストレッチするうえで必要だからだ。横隔膜を伸ばしきったらそこで止める。そして苦しくなる前に息を吐く。起きている間は常にこれをやる。 僕はAEO体得前は呼吸に囚われ、呪われていた。まったく理想的な呼吸ができず、モヤモヤするばかり。胸は苦しいし、頭もスッキリしないどころか、「これ以上、呼吸をゆっくり吐き出したら頭爆発するかも」などといった強迫観念すら生まれてくる。こんなつらい思いをするなら、呼吸なんて意識しなければよかったと何度思ったかしれない。 だから、この呼吸法は覚悟のある人しかやってはいけない。しかし、AEO体得後は「やっててよかった」と思うはずであるし、体得のためのトレーニングにも間違いなくプラスになる。呼吸に関わる横隔膜や軟口蓋を自在に操れるようになれば、自ずと呼吸を自在に操れるようになる。そうすれば普段の生活も、また当然だがAEOの質も驚くほど向上する。 そして最終的に目指すべき地点は、呼吸を忘れることである。

AEO体得のためにやるシャンバヴィムドラーは、簡単に言えば眉間を凝視し続ける訓練で、催眠学的には古典的な自己催眠法である。 眉間を凝視し続けるだけだから一見、簡単に思えるのだが、やればやるほど奥深く、難しいと実感する。僕はAEOを体得した今でも、眉間を凝視している自分を観察し、まだまだ修行が足りねぇなぁと嫌になる。 体外離脱ができない原因もおそらくここにありそうな気がする。僕はピントを固定、保持できていないのだ。 シャンバヴィムドラーの場合、困難を極めるのがこの「ピントをずらさない」ということだ。眼球を固定するのは容易い。しかし、ピントを一切動かさないと……

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AEO体得のためにやるシャンバヴィムドラーは、簡単に言えば眉間を凝視し続ける訓練で、催眠学的には古典的な自己催眠法である。 眉間を凝視し続けるだけだから一見、簡単に思えるのだが、やればやるほど奥深く、難しいと実感する。僕はAEOを体得した今でも、眉間を凝視している自分を観察し、まだまだ修行が足りねぇなぁと嫌になる。 体外離脱ができない原因もおそらくここにありそうな気がする。僕はピントを固定、保持できていないのだ。 シャンバヴィムドラーの場合、困難を極めるのがこの「ピントをずらさない」ということだ。眼球を固定するのは容易い。しかし、ピントを一切動かさないというのは非常につらい。 眼球を動かす機序と、ピントを調節する機序は別で、それぞれ異なる筋肉と神経系によって制御されている。簡単に以下に説明する。 1.【機能的な違い】 •調節機能:眼球内部でレンズ(水晶体)の形状を変えることにより焦点を合わせる。 •眼球運動機能:外眼筋によって眼球を回転させ、視線を特定の方向へ向ける。 2.【筋肉の違い】 •調節機能:毛様体筋が関与(眼球内部の筋肉)。 •眼球運動機能:外眼筋(眼球の外部に付着する筋肉)。 3.【神経系の違い】 •調節機能:主に副交感神経系が毛様体筋を制御。 •眼球運動機能:外眼筋は脳神経(動眼神経、滑車神経、外転神経)によって制御される。 シャンバヴィムドラーの本質は、ピントの固定とその保持といえるのだが、このピントの固定が本当につらい。うまく言葉にできないが、ピントを固定していると「いけず〜」となってきて、気持ちとは裏腹にピントが動いてしまう。 しかしだ。 この「いけず〜」を我慢して我慢して我慢して我慢すると、ある瞬間、突き抜ける。本当に、突き抜ける。そこで何が起きるか? それは自分の身体でお試しあれ。

あえて呼吸法をおすすめするなら、横隔膜のストレッチだな。 息を吸ったときに、とにかく横隔膜を下までびよーんと伸ばす。下腹部まで届くわけないけど、届くイメージでびよーんと伸ばす。伸ばしきったらそこで息を止めつつ、横隔膜も伸びた状態で固定する。 苦しくなる前にゆっくり横隔膜をリリースしていく。 息を吸って吐くのではなく、横隔膜を下げて上げる。 シンプルなことだけど、たぶん多くの人は息を吸って吐くことに夢中になっているのではないだろうか。重要なのは横隔膜の動作である。

AEOのポイント開発は、AEOを体得したから可能なのであって、非体得者はやはり頭部のあのポイントへの集中を極めるのがセオリーだと思われる。 頭部のあのポイントにたどり着くには、外耳〜中耳〜内耳を辿り、そこから前方斜め上あたりにいく。すると、丹田がザワツク場所がある。

本にも書いたのだが、「排泄中(小でも大でも可)」の骨盤内の動きやその感覚は、骨盤内のあくびや臍下丹田の開発にとても有効だと思っている。一気に出さずにじわじわじわじわやって、筋コントロールや感覚を磨くのである。が、まったく誰からも反応がないので、僕にだけ有効なのかもしれない…。

AEO体得前に、意識していたことを思い出した。 盆の窪を開けゴマ!

僕はAEO体得前のドライとエナジーは、単にドギツイオナニーだなと思ったし、体の中をエネルギーが脳天まで上昇するという感覚もなかった。単なるエロだなと思って、2週間くらいしか実践していない。 その後、AEOを体得するわけだが、その時はまさに「下からの上昇」というのを体感して、「なるほど」と思った。それに、頭に登ってオーガズムするとまったくエロじゃない。むしろ精神的な快楽を覚える。 僕が世間のエナジーオーガズムに違和感を覚えるのは、エロエロエロエロだからだ。エロで頭がいっぱいの動物のようだ。それは快感に浸っているというより、溺れているように見えた。AEOを日……

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僕はAEO体得前のドライとエナジーは、単にドギツイオナニーだなと思ったし、体の中をエネルギーが脳天まで上昇するという感覚もなかった。単なるエロだなと思って、2週間くらいしか実践していない。 その後、AEOを体得するわけだが、その時はまさに「下からの上昇」というのを体感して、「なるほど」と思った。それに、頭に登ってオーガズムするとまったくエロじゃない。むしろ精神的な快楽を覚える。 僕が世間のエナジーオーガズムに違和感を覚えるのは、エロエロエロエロだからだ。エロで頭がいっぱいの動物のようだ。それは快感に浸っているというより、溺れているように見えた。AEOを日々実践している身からすると、どうしてエロに沈殿してしまうのかが理解できなかった。AEOがエロになるなど考えられない。 でも、今ならわかる。頭に達しない身体メインのオーガズム、とくにアランB型の臍下丹田〜局部を中心に行うエナジーオーガズムでは、エロ要素が大きくなる。これでは精神性がどうのといった話にならないのは当然と言える。 しかしである。 このアランB型で下腹部〜局部に発生している快感を、アブスウェイブやAEOの技術を使ってスーッと頭まで持ってくるとあら不思議。エロ要素は全くゼロのエナジーオーガズムとなる。 AEO体得してすぐ、実践中の頭部の様子を撮影し、天武氏に送った。そこで僕が行っていた頭部の動きは、いわばポンプの役割をする。頭部の筋肉を動かすと、なぜかわからないがそれがポンプのように働き、気感が下から上昇してくるのだ(今となってはそこまで動かす必要はない)。天武氏もすぐにそれを指摘した。 こうした僕の観察が正しければ、世間で行われているエナジーオーガズムとAEOの決定的な違いは頭までエネルギーを上昇させられるかどうかであり、その鍵となるのが喉や軟口蓋や鼻腔や上咽頭、その他耳周辺や目の周り、表情筋など頭頸部の操作ということになろう。 あとは単純に姿勢もあるかもしれない。エナジーオーガズムのやり方を見ると、100%で仰臥位をすすめているが、僕が思うにあの姿勢でエネルギーを頭まで上昇させるのは相当難しい。だから、必然的に身体メインのオーガズムになってしまい、エロに沈殿してしまう。AEOの訓練は、やはり座位か半跏趺坐や胡座などがいいと思われる。ゆえに、やはりシャンバヴィムドラーは最適な訓練である。

エネルギーのコントロール(上昇)が難しい人は、両耳の外耳道、耳管、耳管開口部を意識するといいかもしれない。それを上に引き上げる。有料級だわこれ。

ウジャイ呼吸は、突き詰めればAEO時の軟口蓋の運動そのものであると思われます。

AEOを訓練するとき、たまに目を2秒くらい開けてまた閉じる。というのをやるといいかもしれない。 眼球周辺が刺激され、それでAEOが発現する可能性があるかもしれないかもしれない。

考察録2のヨーガ的AEO訓練法では、呼吸法は一切お伝えしていない。それは、AEO体得にとって呼吸法はとくに必要ないからだ。変な呼吸法を習って、呼吸に変なクセがついてしまったり、とらわれてしまうほうがよくない。であれば、最初から何もやらないほうがよい。 とはいえだ、個人的には呼吸はとても大切にしている。瞑想を始めた当初から、自分の呼吸のクソさ加減に気づき、徹底的に改善しようと決め、それからは日常の呼吸をウジャイ呼吸で行うようになった。ウジャイだと息のコントロールや呼吸筋群と息の連動が容易になるからだ。そして不思議なことに、恍惚体験を経るごとに、僕の呼吸はだ……

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考察録2のヨーガ的AEO訓練法では、呼吸法は一切お伝えしていない。それは、AEO体得にとって呼吸法はとくに必要ないからだ。変な呼吸法を習って、呼吸に変なクセがついてしまったり、とらわれてしまうほうがよくない。であれば、最初から何もやらないほうがよい。 とはいえだ、個人的には呼吸はとても大切にしている。瞑想を始めた当初から、自分の呼吸のクソさ加減に気づき、徹底的に改善しようと決め、それからは日常の呼吸をウジャイ呼吸で行うようになった。ウジャイだと息のコントロールや呼吸筋群と息の連動が容易になるからだ。そして不思議なことに、恍惚体験を経るごとに、僕の呼吸はだんだんと完璧なものに近づいていった。AEO体得後は特に、呼吸の成長が加速している。 ここで注意していただきたいのは、「呼吸法」と「呼吸」は違うということで、僕がおすすめするのは「呼吸」だ。ウジャイ呼吸も「呼吸法」の部類に入るだろうが、日常化することでそれは至高の「呼吸」になっていく。 なので、ここで触れるのは「呼吸」である。 ウジャイは軟口蓋を自在に動かすことで様々に息を当てる箇所を微妙に変え、息が出る量やスピード、息が上咽頭や鼻腔に当たって鳴り響く音を微妙に変化させたりする、奥が深くて高度な呼吸だ。ひと息1分とか2分といった長い呼吸ができるようになる。 実際にどういう呼吸なのかは各自youtubeなどで確認してほしいのだが、ウジャイは「赤ちゃんの呼吸」とか「寝ている時の呼吸」などと表現される。 簡単に体験するには、口から息を吸い、吸っている途中で口を閉じて口から息を吸えないようにすると自然と鼻呼吸に切り替わる。そして吐き出すときも上咽頭付近に息を当てて音を出す。軟口蓋は上にせり上げ、鼻腔を塞ぐ形をとる。簡単に言えばこれがウジャイだ。 ただ、上記でも説明したように、ウジャイは軟口蓋を使って息を当てる場所を様々に変える。それは上咽頭から喉仏付近まで様々だ。また、ウジャイでは臍下丹田を直接ピンポイントで刺激することができるし、そこから頭頂まで1本の筒を作ることもできる、やればやるほど奥深い呼吸だ。 では、AEOのためにウジャイをやるその意味はなんなのか? それは主に以下の3点である。

息と横隔膜、腹筋、その他呼吸に関わる筋肉群のきれいな連動

軟口蓋のコントロール(完全な呼吸の抑制) ほかにもいろいろあるが、この3つが特に大きい。軟口蓋の運動はAEO発現にとって重要である。これを自在にコントロールする能力は、AEOのコントロールに直接結びつく。深いウジャイを2、3回程度するだけでもAEOが発現するようになる。 ただ、日常の呼吸をウジャイにするのにはそれなりのデメリットもある。

ボケっとする時間(DMNの時間)が減る(ボケっとするのは人間にとって大事) これに耐えた暁には、普段の呼吸が至福に変化していくが、それまでの道はなかなかに険しい(笑)。だからあまり、人にはおすすめしないのである。実は考察録2の初稿では、このウジャイ呼吸を入れていた。でも、考えに考えた挙げ句、削除した。それくらい、僕にとっては重いのである。

ケーチャリームドラーは、舌を反転させてのどちんこの奥に突っ込み、さらに舌を上に上げて鼻腔に入れる奇天烈な行法だ。 これはハタ・ヨーガ・プラディーピカーにおいて、クンダリニー覚醒のための行の中でも特に奇天烈な行であるが、最重要とされるムドラーである。 僕はこれをAEO体得前に修め、日々行っていた。舌を鼻腔に突っ込むと、身体が弛緩して身体から余計な力が抜けるため、ジッと座っている事が可能になる。シャンバヴィムドラーをあわせることで、簡単に無念無想の状態を取れた。 AEO体得後は、ほとんどケーチャリームドラーはやらなくなったのだが、なぜこのムドラーがクンダリニ……

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ケーチャリームドラーは、舌を反転させてのどちんこの奥に突っ込み、さらに舌を上に上げて鼻腔に入れる奇天烈な行法だ。 これはハタ・ヨーガ・プラディーピカーにおいて、クンダリニー覚醒のための行の中でも特に奇天烈な行であるが、最重要とされるムドラーである。 僕はこれをAEO体得前に修め、日々行っていた。舌を鼻腔に突っ込むと、身体が弛緩して身体から余計な力が抜けるため、ジッと座っている事が可能になる。シャンバヴィムドラーをあわせることで、簡単に無念無想の状態を取れた。 AEO体得後は、ほとんどケーチャリームドラーはやらなくなったのだが、なぜこのムドラーがクンダリニー覚醒のための最重要ムドラーとされるのかは、ずっと考えている。 現段階での僕の見解を述べる。 AEO発現において、軟口蓋の収縮(せり上げ)は重要であるが、ケーチャリームドラーはこれを阻害する。今でもケーチャリームドラーをやりながらAEOをやろうとすると、できないことはないがとてももどかしい。「いけず〜」って感じで、喉のところでエネルギーが止まってしまい、頭部に流入しない。頭部に流入しないと身体全体にも回りづらいので、なんだかやりそこねた感じになってしまう。 が、しかしである。この「いけず〜」な感じが使える。 というのも、ケーチャリームドラーをやりながらAEOをやると「いけず〜」な状態になるのだが、ムドラーを解くと、エネルギーは勢いよく頭頂に向かいその後全身を満たす。 これは、AEO体得前の訓練として有効になる。エネルギーを貯めに貯めて喉の弁を解く。こうすることで、エネルギーを勢いよく一挙に開放することができる。エネルギーの上昇をこれで体験できる可能性がある。 とはいえ、そもそもケーチャリームドラーの成就自体が通常は困難なわけだが…。 『ケーチャリームドラー』 https://youtube.com/shorts/RqaSwxCbENI?si=uPstLzyg_9d5Psrn

ケーチャリームドラーは、舌を鼻腔に入れるだけでは無意味だ。それできちんとした生理反応が起きていないのであれば、それは成就していない。 ネットを徘徊して調べてみると、舌を鼻腔に入れられても、生理反応が得られない人はけっこういるようだ。彼らは舌を鼻腔に入れることをただただ自慢する。それは無意味な行為である。 舌を鼻腔に入れたあと、体中を観察せよ。必ず変化が起きているはずだ。その変化に気づかなければ、舌を鼻腔に入れる行為は無意味となる。しかし、その変化に気づくことができれば、その変化はより明らかとなる。

一点に集中するとか、意識を置くとか言ったとき、大体は身体の内側にポイントを置くが、身体の外数十センチのところに置くのもまた、ひとつの技術。 シャンバヴィムドラーの場合、額の数十センチ前付近に、ギュイーンってなって眼球が斜め上に引き込まれるような感じになるポイントを見つけられたら、そこで保持。つらいけど保持。徹底的に保持。ピントもなるべくずらさずに、我慢。意識ごとそこに突っ込むような感じで。ギュイーンと引き込まれる。 これを毎日やっていると、そのうちおヘソの奥のほうや下腹部奥も何やら反応していることに気づけるだろう。

目を閉じてまぶたの裏の一点を凝視し続ける。 絶対に眼球を動かさず、ピントも絶対にずらさずに保持し続ける。 するとやがてチカチカ光が出てくる。ここでも同様に、絶対に眼球を動かさず、ピントも絶対にずらさずに保持し続ける。気合いだ。 この光が安定するとピントがガチっと固定されて眼球が安定し、精神状態スーッと変わったのがわかる。 ここからが瞑想の本番。 体内の解像度は32Kになってる(笑)。

眉毛を上下に動かすと、体内でどんな反応が起こるかじっくり観察しよう。重要なのは、眉毛を八の字にした時と、していない時の体内の違いである。 また、眉毛を上下に何度も動かす動作は、頭をポンプとして使う際にもう役立つ。眉毛の上下の数秒後、下からブワーッと勢いよく上昇してくることもある。 ひとつコツを述べるとするなら、眉毛を動かすのだが、意識するべきポイントは眉間の奥である。そこに小さいボールとか何か想像して置き、眉毛の上下に合わせてそれも動かすのである。そうすれば、頭部の深い部分が動く。ここが重要なのである。深い場所。よって、慣れてくれば眉毛のあからさまな上下……

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眉毛を上下に動かすと、体内でどんな反応が起こるかじっくり観察しよう。重要なのは、眉毛を八の字にした時と、していない時の体内の違いである。 また、眉毛を上下に何度も動かす動作は、頭をポンプとして使う際にもう役立つ。眉毛の上下の数秒後、下からブワーッと勢いよく上昇してくることもある。 ひとつコツを述べるとするなら、眉毛を動かすのだが、意識するべきポイントは眉間の奥である。そこに小さいボールとか何か想像して置き、眉毛の上下に合わせてそれも動かすのである。そうすれば、頭部の深い部分が動く。ここが重要なのである。深い場所。よって、慣れてくれば眉毛のあからさまな上下運動は必要なくなる。 また、眉毛を上げたときに耳の中で聞こえる音にも注意を払ってみるべきである。眉毛を上げると、通常の状態より幾分甲高い高周波の音が感じられるはずである。眉毛を上下させ、この音の低高の変化を観察する。

筋トレで重要なのは、狙った筋肉への意識と伸縮の可動域である。 シャンバヴィムドラーは眼球周りの筋肉の筋トレである。 だから、思いっきり白目をむくのである。 そうして固定すべきである。 これに慣れてきた頃には、眼球周りの筋肉の微妙なコントロールができるようになってくるから、眼球のコントロールが容易になるのである。 眼球のコントロールが容易になれば、眼球の固定、ピントの固定もできるようになってくるのである。 筋トレは理屈と継続。

考察録2では、火の呼吸(=カパラバティ)とアブスウェイブをAEO訓練法として紹介しているが、これら二つは本質的に同じである。 カパラバティはヨーガの呼吸法で、まさしくクンダリニー覚醒技法として伝統的に使用されているものである。一般的には呼吸法とされるが、これは呼吸法ではなく臍下丹田の刺激による〝熱感〟や〝気感〟などの違和感の発生が目的である。過呼吸にしたり酸欠にしたりするのが目的ではないし、呼吸が目的でもない。 臍下丹田を刺激するとき、下腹部を前後に動かす。その動作をする時に呼吸を合わせるとやりやすく、継続してできる。だからああいった呼吸を筋肉の動きに合……

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考察録2では、火の呼吸(=カパラバティ)とアブスウェイブをAEO訓練法として紹介しているが、これら二つは本質的に同じである。 カパラバティはヨーガの呼吸法で、まさしくクンダリニー覚醒技法として伝統的に使用されているものである。一般的には呼吸法とされるが、これは呼吸法ではなく臍下丹田の刺激による〝熱感〟や〝気感〟などの違和感の発生が目的である。過呼吸にしたり酸欠にしたりするのが目的ではないし、呼吸が目的でもない。 臍下丹田を刺激するとき、下腹部を前後に動かす。その動作をする時に呼吸を合わせるとやりやすく、継続してできる。だからああいった呼吸を筋肉の動きに合わせる。目的は下腹部の筋肉を前後に動かすなどして臍下丹田を刺激してモワモワっとした違和感を出すことである。 アブスウェイブもやることは全く同じだが、呼吸だけが違う。アブスウェイブは息を吸って腹にため、息を止めて行う。アブスウェイブの場合の目的もモワモワっとした違和感の発生である。非常にゆっくりとした動きで鳩尾付近から下に腹筋を引っ込めていき臍下丹田まで到達すると、そこからモワモワっと違和感が立ち上がってくるようになる。 この違和感を頭までなんとかして持ってくる。シャンバヴィムドラーやったり、口角を上げたり、眉毛を上げたり、耳管を絞り上げたりなんだりしてとにかく持ってくる。 これだけ。

DOやEOを体得していくら実践しても、瞑想能力の向上(変性意識状態への移行能力)とAEOのための訓練をしなければAEOは体得できない。 順番的にはまずは変性意識状態へ移行する技術を徹底的に学ぶべきである。変性意識状態への移行は何か対象への集中の持続によってなされるが、これが通常の人には困難を極める。 そもそも変性意識状態というものを意識したこともない人が、変性意識状態に移行してもそれを認識するのは難しい。山を見たこともなく、山という概念も知らない人が、山を見てもそれを空と区別することはできない。つまりあかちゃんや幼児のような認知である。この状態から、変性……

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DOやEOを体得していくら実践しても、瞑想能力の向上(変性意識状態への移行能力)とAEOのための訓練をしなければAEOは体得できない。 順番的にはまずは変性意識状態へ移行する技術を徹底的に学ぶべきである。変性意識状態への移行は何か対象への集中の持続によってなされるが、これが通常の人には困難を極める。 そもそも変性意識状態というものを意識したこともない人が、変性意識状態に移行してもそれを認識するのは難しい。山を見たこともなく、山という概念も知らない人が、山を見てもそれを空と区別することはできない。つまりあかちゃんや幼児のような認知である。この状態から、変性意識状態を認知できる状態へと成長しなければいけない。 集中の持続がどれだけ難しいかはシャンバヴィムドラーをやればわかる。まず、眼球周りの筋肉なんて意図して使ったことがないから、眼球を固定することなどできないし、ピントなんてズレまくる。だから、最初の一ヶ月は眼球周りの筋トレになる。 これは完全に積み上げ作業なのだが、一般的には積み上げ作業が得意な人は多くはない。積み上げ作業がみなできるのであれば、学校の勉強などみなできるはずなのだが、現実はほとんどの人ができない。これとなんら変わらない。 ほかには自律訓練法も変性意識状態への移行技術として使える。使えるが、これは入口を開けるのには使えるのだが、その後、さらに深く潜っていくにはもっと強烈な一点集中の持続技術が必要になる。 シラフの状態で通常の人がAEOの訓練をしても、たぶん何も起こらないし、何も感じられない。それが延々と続くだけだから、訓練も続かないだろう。 だからまずは、変性意識状態に入る技術を徹底的に学ばなければならない。そのためには毎日たくさん座って目を閉じて、シャンバヴィムドラーや自律訓練法をやり、意識や身体の状態を注意深く観察し、変容を探すことだ。シラフと変性意識の違いを探し、言語で定義するのだ。それによってあなたの変性意識状態はより輪郭を帯びてくる。 そうしたら、その定義した変性意識状態へ番号をつけるべきだ。そうして、瞑想するときはその番号をまぶたの裏に映し出しながら呼吸をする。呼吸をする際、鼻から吸って、鼻から吐くときに頭の中でその番号を声に出すのだ。このようにして、いつでもその変性意識状態へ移行できるような身体を作る。 変性意識状態に入れば内受容感覚も抜群にアップするから、身体への刺激やそれに対する反応をつぶさに観察できる状態になる。この状態でAEOの訓練をするから、快感に対して敏感になり、敏感になることによって意識を張り付けることができ、それが結果的に集中の持続になってさらに深い変性意識状態へと入っていくのである。そうすれば、内受容感覚はさらに高まる。これが理想的なループである。 そしていつか快感が溢れ出す。そうしたとき、これまでとは違う体験をするだろう。それも圧倒的な体験をする。そして、それはすぐにコントロールできるようになる。 本当の修行はそこから始まる。

瞑想を開始する前に、まずは座って目を閉じ、鼻から息を吸って横隔膜をとにかく下に下に伸ばすべきである。のばしきったらそこで息を止めて横隔膜を伸ばした状態で固定せよ。そして苦しくなる前にゆっくりと横隔膜をリリースする。 何度も何度もこれを行なって、横隔膜を臍の下まで下げるつもりで下げ続けるのである。横隔膜がガッツリ下までやってくれば、姿勢は自ずと決まってくる。 これで瞑想をする準備が整う。 僕は今でも、起きている間中、気がついたらウジャイで横隔膜を伸ばしまくっている。横隔膜の伸縮は呼吸に直結する。呼吸の快適さは瞑想の快適さに直結する。

呼吸に意識を集中するとは言ってもだな、その集中するべき呼吸の質が低ければ集中、つまり意識を貼り付けることなんてできないんだけど、ここを説明する指導者はなかなかいないよな。 じゃあ呼吸の質って何かっていったら、一定の量、一定のスピードでブレなく息を吸い込み、一定の量、一定のスピードでブレなく息を吐き出すというのを自在にできるかどうかで、これを叶えるには横隔膜の筋トレや軟口蓋の抑制やその他諸々呼吸筋群の筋トレが必要で、それをどこまで突き詰めるかっていうめちゃくちゃシンプルだけどめちゃくちゃハードコアな話なんだわ。 これをやるにはまずウジャイを極めない……

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呼吸に意識を集中するとは言ってもだな、その集中するべき呼吸の質が低ければ集中、つまり意識を貼り付けることなんてできないんだけど、ここを説明する指導者はなかなかいないよな。 じゃあ呼吸の質って何かっていったら、一定の量、一定のスピードでブレなく息を吸い込み、一定の量、一定のスピードでブレなく息を吐き出すというのを自在にできるかどうかで、これを叶えるには横隔膜の筋トレや軟口蓋の抑制やその他諸々呼吸筋群の筋トレが必要で、それをどこまで突き詰めるかっていうめちゃくちゃシンプルだけどめちゃくちゃハードコアな話なんだわ。 これをやるにはまずウジャイを極めないといけないし、丹田も徹底的に鍛えないといけないし、そもそも息をゆっくり吸い続けたり吐き続けたりするのって人間にとっては苦痛この上ないことだから、まずその壁を超えないといけないんだけど、この苦痛の壁が高すぎる。

AEO体得の訓練に最適なのは早朝、起きてすぐである。身心ともにリフレッシュしているうえ、変性意識に入りやすいからである。 また、訓練は毎日おなじ時間に行い、同じルーティンをこなすべきである。あれやこれやと違う訓練法をやるのは間違いである。 毎日、同じ時間に座り、同じルーティンを行うことで、昨日と今日の身心の差異に気づきやすくなるのである。昨日と今日の自分の差異に気づくことは、訓練によって期待する生理反応を知覚する(気づく)ことに役立つ。 シャンバヴィムドラーをやっている状態と、やっていない状態の身心の差異はなんだろうかと観察すること。 ナウリをやる前とや……

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AEO体得の訓練に最適なのは早朝、起きてすぐである。身心ともにリフレッシュしているうえ、変性意識に入りやすいからである。 また、訓練は毎日おなじ時間に行い、同じルーティンをこなすべきである。あれやこれやと違う訓練法をやるのは間違いである。 毎日、同じ時間に座り、同じルーティンを行うことで、昨日と今日の身心の差異に気づきやすくなるのである。昨日と今日の自分の差異に気づくことは、訓練によって期待する生理反応を知覚する(気づく)ことに役立つ。 シャンバヴィムドラーをやっている状態と、やっていない状態の身心の差異はなんだろうかと観察すること。 ナウリをやる前とやった直後の身体内部の差異はなんだろうかと観察すること。 これが重要である。 これをやっていれば、そもそもモンキーマインドなどという意識のブレは起きないのである。

思い出したのだが、AEO体得前、瞑想をするときはアイマスクをつけていた時期があった。 人間の眼球は忙しないもので、目を瞑っていてもあっちこっち動いて定まらない。それによって瞼の裏の映像はチラチラ変化し続ける。それがノイズとなり集中の邪魔をする。 アイマスクをつけると、これがなくなる。外部の光を遮断してくれるため、真っ暗を実現する。こうなると、眼球が動こうとも瞼の裏は真っ暗なのでノイズが発生しない。さらに、ニミッタを発現させるのにもいい。真っ暗だからわかりやすい。通常目を閉じただけでは外部の光を感知するので、瞼の裏は真っ黒ではない。だからニミッタも認知しづ……

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思い出したのだが、AEO体得前、瞑想をするときはアイマスクをつけていた時期があった。 人間の眼球は忙しないもので、目を瞑っていてもあっちこっち動いて定まらない。それによって瞼の裏の映像はチラチラ変化し続ける。それがノイズとなり集中の邪魔をする。 アイマスクをつけると、これがなくなる。外部の光を遮断してくれるため、真っ暗を実現する。こうなると、眼球が動こうとも瞼の裏は真っ暗なのでノイズが発生しない。さらに、ニミッタを発現させるのにもいい。真っ暗だからわかりやすい。通常目を閉じただけでは外部の光を感知するので、瞼の裏は真っ黒ではない。だからニミッタも認知しづらい。 眼球の忙しなさは瞑想の敵である。アイマスクで成敗せよ! でも、いずれはアイマスクは捨てなければいけない。

光は集中度の目安かなと思います。あと、光が動くということは眼球や瞼が動いているということなので、光が固定され始めると眼球も安定してきているという見方ができるかと思います。最終的には光に向けて一点集中し、そこに突っ込んでいけば眉間を中心としてドギツイAEOがキマるようになります。

ヨーガの難しいところは、ただムドラーを真似してやるだけ、ただ呼吸法を真似してやるだけでは、効果はまったく現れないということだ。 ヨーガの代表的なムドラーや呼吸法はクンダリニー、つまりAEOのためである。ヨーガを正しく理解し、AEOを正しく理解し、身体の構造を正しく理解し、意識を正しく理解し、その理解(知識)を土台にして徹底した身体内や意識の変化をモニタリングして初めて、効果を実感できる。 ケーチャリームドラーをできる人はかなりいるが、その本意を知る者はほとんどいない。だから効果が現れない。よってパフォーマンスにしかならない。 ナウリをできる人もたくさんい……

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ヨーガの難しいところは、ただムドラーを真似してやるだけ、ただ呼吸法を真似してやるだけでは、効果はまったく現れないということだ。 ヨーガの代表的なムドラーや呼吸法はクンダリニー、つまりAEOのためである。ヨーガを正しく理解し、AEOを正しく理解し、身体の構造を正しく理解し、意識を正しく理解し、その理解(知識)を土台にして徹底した身体内や意識の変化をモニタリングして初めて、効果を実感できる。 ケーチャリームドラーをできる人はかなりいるが、その本意を知る者はほとんどいない。だから効果が現れない。よってパフォーマンスにしかならない。 ナウリをできる人もたくさんいるが、その本意を知る者はほとんどいない。だから効果が現れない。よってパフォーマンスにしかならない。 本意を知ることがなければ正しい動作ができないから、期待する生理現象は発生しない。 つまり言いたいことは、正しい文献を読んで、正しい理解をして、正しい訓練をしなければ、何も得ることはできないということだ。 ほとんどの人はAEOの技術的側面、快楽的側面ばかりに注目しているが、正しい知識の獲得を忘れてはいけない。正しい知識ががあれば自分が何をしているのかが如実になる。自分が何をしているのかがわかれば、AEOによる快楽は爆発する。人生が一変する。 肉体的な快楽だけでは足りない。精神的快楽が必要だ。強烈な精神的快楽は知恵より生まれる。

AEOや瞑想にとって重要なのは「あいだ」。 収縮と弛緩のあいだ。 呼気と吸気のあいだ。 睡眠と覚醒のあいだ。 上げる力と下げる力のあいだ。 押す力と引く力のあいだ。 快と苦のあいだ。 ケツとヘソのあいだ。 ヘソと胸骨のあいだ。 胸骨と喉仏のあいだ。 喉仏と喉のあいだ。 喉と頭頂のあいだ。 交感神経と副交感神経のあいだ。 力と力のあいだ。 正気と狂気のあいだ。 ここにヒントがあると思うぞ。

催眠術のかけ方、最強誘導法「凝視法」 https://youtu.be/rZowNf2gaNM?si=LecI5rwxeQQk4fJ0 このような他者催眠であれば、催眠にかけられる側は眼球やピントの固定にそれほど努力はいらない。しかし、自己催眠、つまり瞑想だとこれがとても難しい。 原因は簡単で眼球周辺の筋肉を固定したりピントを固定したりすることに筋肉と意識が慣れていないからだ。 だから、単に毎日やって鍛えればいい。これだけだ。やれば必ず効果がでるのがシャンバヴィだ。完全に筋トレなのである。しかもこの筋トレは、ベンチプレスで100キロを上げることより断然容……

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催眠術のかけ方、最強誘導法「凝視法」 https://youtu.be/rZowNf2gaNM?si=LecI5rwxeQQk4fJ0 このような他者催眠であれば、催眠にかけられる側は眼球やピントの固定にそれほど努力はいらない。しかし、自己催眠、つまり瞑想だとこれがとても難しい。 原因は簡単で眼球周辺の筋肉を固定したりピントを固定したりすることに筋肉と意識が慣れていないからだ。 だから、単に毎日やって鍛えればいい。これだけだ。やれば必ず効果がでるのがシャンバヴィだ。完全に筋トレなのである。しかもこの筋トレは、ベンチプレスで100キロを上げることより断然容易い。毎日1日30分、1ヶ月もやれば驚きの体験をするだろう。 この訓練に何も辛いことはない。眼球の固定が安定してくれば、すぐに快感を感じ始める。あとは堰を切って何かが溢れ出すのを待て。 1000年以上も前から人間は眉間を凝視してきたのだ。

そういえば、2023年の12月末の早朝。 いつものようにAEOをやっていて、強烈な集中でシャンバヴィをやり、エネルギーが眉間に達するまで1ミリも眼球とピントと身体をずらさず、どうなってしまうんだろうという恐怖に打ち勝ち、最後まで耐えた時、眼球はグルンと後ろを向いたようになり、光に突入し、思わず「あ、釈迦になったわ」となんの疑いもなく思ってしまったほどの強烈な恍惚体験をした(強烈すぎて思わず師匠にメールした)。 あのドギツイ体験の直後から、AEOも呼吸も大きく進化した。これによって眉間凝視の重要性を認識し、徹底した。眉間を凝視しつつ体全体をガチッと止めると……

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そういえば、2023年の12月末の早朝。 いつものようにAEOをやっていて、強烈な集中でシャンバヴィをやり、エネルギーが眉間に達するまで1ミリも眼球とピントと身体をずらさず、どうなってしまうんだろうという恐怖に打ち勝ち、最後まで耐えた時、眼球はグルンと後ろを向いたようになり、光に突入し、思わず「あ、釈迦になったわ」となんの疑いもなく思ってしまったほどの強烈な恍惚体験をした(強烈すぎて思わず師匠にメールした)。 あのドギツイ体験の直後から、AEOも呼吸も大きく進化した。これによって眉間凝視の重要性を認識し、徹底した。眉間を凝視しつつ体全体をガチッと止めるというのは身体的にはけっこう負担がかかるようで、首が凝り固まって痛みが発生してしまうこともあり、頻繁にバンテリンを塗っていたのを思い出す。いまは安定したが、つい2〜3ヶ月前まで首が痛くなることがあった。 今となってはあの「釈迦トビ」はいつでもできるようになっているし、トビにも慣れたので大したことなのだが、1年前に「あ、釈迦になったわ」と思わせるトビが、今となっては「大した事ない」と思えるほどに進化しているAEO、この先の進化が怖くもある。

瞑想では眼球が大事だ。 普通、瞑想時に眼球はブレまくる。だから意識もブレまくる。 眼球は意識で固定しようたってそうはいかない。それができるなら最初からできているのである。 そこで、すぐに眼球を安定させる技術を教えよう。以下は開眼状態で行う。 1 思いきり右を見る。 2 真ん中に戻す。 4 思いきり左を見る。 5 真ん中に戻す。 これをテンポよく何度か行い、目を閉じてみよ。眼球は安定しているはずだ。眼球がブレ出したらまたこれをやる。 瞑想はずっと目を閉じていないといけないと思い込んでいる人がいるが、そんなルールはない。

呼吸法は数多あれど、ほとんどの者は何も成し遂げられない。 なぜか? 基本を疎かにしているからである。 呼吸の基本とは、横隔膜をどれだけ自由自在操れるか? である。それは具体的に言えば、横隔膜の収縮と弛緩のコントロールである。 収縮と弛緩のコントロールとは、吸気の際、適切なスピードで横隔膜をグーーーーーーーーっと収縮させることができ、そして心地良くその状態で止めることができ、苦しくなることなく思ったスピードで横隔膜を弛緩していくことができ、この一連の動作から意識を一瞬たりとも離すことなく意識し続けることである。 間違ったカパラで息をスーハースーハーやって単……

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呼吸法は数多あれど、ほとんどの者は何も成し遂げられない。 なぜか? 基本を疎かにしているからである。 呼吸の基本とは、横隔膜をどれだけ自由自在操れるか? である。それは具体的に言えば、横隔膜の収縮と弛緩のコントロールである。 収縮と弛緩のコントロールとは、吸気の際、適切なスピードで横隔膜をグーーーーーーーーっと収縮させることができ、そして心地良くその状態で止めることができ、苦しくなることなく思ったスピードで横隔膜を弛緩していくことができ、この一連の動作から意識を一瞬たりとも離すことなく意識し続けることである。 間違ったカパラで息をスーハースーハーやって単なる酸欠になったり、わかったような顔で何もわからずナディーショーダナやったりしても、いま述べた呼吸の土台を構築しなければ、どんな呼吸法も空虚だ。

シャンバヴィームドラーやるときにな、眼球を後ろに引っ張りつつ眉間を意識してみるといい。 なんか起こったらおせーてください。 これはトリップ技術です。

「深い呼吸」を翻訳するとだな、 横隔膜の可動域いっぱいに動かす。 になる。

シャンバヴィムドラーやりながら、両耳の外耳を上に引っ張り上げるつもりになってみ。

下腹部と眉間のリンク。軟口蓋のせり上げも忘れずにな。呼吸はできればウジャイがオススメだ。なぜなら、ウジャイにすることでより軟口蓋を吸い上げることができるからだ。それとともに眉間と下腹部のラインはより反応するだろう。

息を上咽頭に当てるようにして鼻から吸い込み、臍下丹田まで届けて下腹部の圧を入れて膨らませる。吐く息でさらに下腹部の圧を強めるようにしながら鼻から吐き出す。この一連の流れを、横隔膜の可動域をなるべく広くとって行う。これを毎日起きている間、気がついたらやる。すると、翌日、筋肉痛になるくらいの刺激になってくる。俺は臍下丹田はこうやって鍛えている。

腹から上に上げようとするとき、世間グセが抜けずにスシュムナーだの中央脈管だのをイメージする人は多いと思うが、そんなものはあくび系EO覚醒すればズドンとできあがるからやる必要はない。では尸林の瞑想ギャングはどうするべきか? 筋肉を伝うのである。 腹筋→横隔膜→気道→喉→軟口蓋→鼻腔 簡単だ。ウジャイで鍛える。

ケーチャリームドラーにしろシャンバヴィムドラーにしろあくび系EOにしろAEOにしろ、身体と意識を使う以上、これらは運動であって、運動である以上合理的に考えるべき。ただ闇雲に形だけ真似してもなんの意味もない。目的を明確にし、それを達成するための合理的な方法を模索することが行であって、行は精神的な活動ではない。

日常の呼吸からウジャイにして徹底して鍛えてれば、最初は頭爆発しそうになったり色々かなりツライ。肉体的にも精神的にもかなりツライ。でも瞑想による恍惚体験を経るごとに呼吸は驚くような進化をしていく。そしてあくび系EO覚醒後に呼吸は異次元なレベルに突入し、「これで完成か!」と思いきや、さらなる進化をしていく。気合と根性がある尸林の瞑想ギャングは今のうちからやっておくといい。ぶっ飛ぶぞ。相当きついけど笑。

息が漏れるのを防ぎ、呼吸止める時に締めるのは首(喉)じゃない。軟口蓋。その状態からほんの少しだけ軟口蓋を開放して息を細くゆっくり流入させる。あら不思議、ウジャイの完成だ。吐くときも一緒。

逆に言えば、首(喉)を締めても息は止まらない。引き締めてるのは食道であって気管ではないからだ。喉の開発は、この食道を締めた状態で息を喉仏に当てて行う。息による仏とのメルティーキッスだ

動画に寄せられる質問を観察していると、正直こまかすぎるなって思うことがある。例えばシャンバヴィムドラーについて考えてみよう。シャンバヴィムドラーってのは、「眼球の状態+意識の置きどころ」のこと。だから、「これが正しいシャンバヴィムドラー」などというピンポイントの答えはない。「眼球をここの位置に向けて、ここに力を入れて、んで意識はおでこの真ん中辺りに置きましょう。んで姿勢はどうのこうので、仙骨はうんちゃらかんたら」とか細かく言う奴は、一見すると「すげぇ!」となるが、それは木を見て森を見ずなやつだ。眼球の状態と意識の置きどころのパターンなんて無限にあるのだが……

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動画に寄せられる質問を観察していると、正直こまかすぎるなって思うことがある。例えばシャンバヴィムドラーについて考えてみよう。シャンバヴィムドラーってのは、「眼球の状態+意識の置きどころ」のこと。だから、「これが正しいシャンバヴィムドラー」などというピンポイントの答えはない。「眼球をここの位置に向けて、ここに力を入れて、んで意識はおでこの真ん中辺りに置きましょう。んで姿勢はどうのこうので、仙骨はうんちゃらかんたら」とか細かく言う奴は、一見すると「すげぇ!」となるが、それは木を見て森を見ずなやつだ。眼球の状態と意識の置きどころのパターンなんて無限にあるのだが、その「眼球の状態+意識の置きどころ」の組み合わせの中には、「意識変容を起こす組み合わせ」や「EOを誘発させる組み合わせ」ってのがある。これを探すのが行ってことであって、その答えは自分の身体しかわからん。つまり、教えられるものでもないし、教えることができるものでもない。だから求める時点で間違ってる。それに、この組み合わせを自分で探すことこそ快楽の因なのであって、見つけた時に果、つまり最高の快楽が得られる。どこまで具体的に話し、どこまで抽象化するか? っていうバランスを取れない人間から学ぶのは時間の無駄さ。AEOに限った話ではないがな。

瞑想における呼吸というとやれ「吐く息を細く長くしろ」だの、「4秒吸って、3秒止めて、8秒で吐け」だのと、「時間」のフレームワークで語られることが多い。しかし、これは使うフレームワークが間違っていると、尸林の瞑想ギャングは知らなければいけない。 まず初めに正しい目的を設定しなければいけない。瞑想における呼吸の目的は: 神経伝達物質の状態を変えて変性意識に入ること だ。 このことを大前提の目的とすれば、瞑想における呼吸は「時間の長さ」ではなく「呼吸の深さと質」に気を使うべきである。呼吸の長さは「深さと質の結果」だから考える必要がない。考える必要がないこ……

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瞑想における呼吸というとやれ「吐く息を細く長くしろ」だの、「4秒吸って、3秒止めて、8秒で吐け」だのと、「時間」のフレームワークで語られることが多い。しかし、これは使うフレームワークが間違っていると、尸林の瞑想ギャングは知らなければいけない。 まず初めに正しい目的を設定しなければいけない。瞑想における呼吸の目的は: 神経伝達物質の状態を変えて変性意識に入ること だ。 このことを大前提の目的とすれば、瞑想における呼吸は「時間の長さ」ではなく「呼吸の深さと質」に気を使うべきである。呼吸の長さは「深さと質の結果」だから考える必要がない。考える必要がないことを考えることで脳みそを無駄に働かせてはいけない。削減できる行為(数字のカウント)は止め、脳にノイズを発生させないようにしなければいけない。 呼吸の長さを考えるたいていの人は、頭の中で時間を数えている。頭の中で「いち、に、さん、し…」と声にして数える人もいれば、頭の中に数字をイメージしていく人もいるかもしれない。いずれにせよ、これは脳を働かせているということである。これでは息に対する注意が分散されてしまい、「深くて質が高い」息から遠くなってしまう。 「深くて質が高い」とは、息に対する没入度のことであって、深呼吸のような「大きな呼吸」というわけでも、「腹式呼吸」ということでもない。一息を最高の自己表現とか最高の芸術だと思って、呼吸から一瞬たりとも意識をそらさず、一定の排出量、一定のスピード、必要な筋肉以外は動かさず、聴こえている呼吸音のピッチを固定し、眼球とピントも固定し、感じている感覚を一瞬たりとも変えないように行うのである。 そうすると、ある閾値を超えると息は消える。息を吐いてるのか、吸ってるのか、止まっているのか、わからない状態になる。ここで意識はバッツリ変性意識に入っている(神経伝達物質の状態が変わっている)。 瞑想における呼吸ができるかできないかは、覚醒するしないには関係しないが、グッドトリップをするためにはいい道具になる。「呼吸やらないとなぁ」とか「呼吸法ってやつをやりたいなぁ」と思っている瞑想ギャングは、いま説明したように呼吸を考え、日々、行うべきである。

喉仏には仏が宿る

知と探求

催眠学、ヨーガ哲学、仏教、歴史的考察

AEOを体得するうえで教養は必須。教養とは頭がいいとか知識が豊富とかではなく、自己否定(固定観念、既成概念の破壊)に耐えられる器量の大きさ。その自己否定に快感を覚える変態さ。教養があれば、オーガズムのコペルニクス的転換を起こせる。パラダイムシフトを起こすには、前提の破壊が必須。

AEOの背景に潜む領域は宗教学、神経生理学、催眠学、心理学、思想哲学、倫理学などなどとてつもなく幅広く、その探求を深めようと思えば学際的なアプローチが必要になるが、これこそがAEOによって手に入れた最高の快楽、知の探求による快楽である。これは尽きることがない。

以下の文章は、インドの古典思想哲学が近代、どのような変遷を辿ったのかを端的に説明したものである。AEOを実践する上では、こうした客観的な歴史認識が重要だと思われる。様々な人たちの思惑が折り重なっているのである。 "" インドの神秘思想は十九世紀以降に西欧世界で再発見され、西欧経由でそれを自らのものにしたエリート的宗教者によって、インドの伝統として再定義された。インドのナショナリズムはこのように再発見された伝統を基軸として自らのプライドを取り戻そうとしたのである。それは古代の精神文化では優位にありながら、当時の物質文化では西欧世界に劣っている状況をくつが……

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以下の文章は、インドの古典思想哲学が近代、どのような変遷を辿ったのかを端的に説明したものである。AEOを実践する上では、こうした客観的な歴史認識が重要だと思われる。様々な人たちの思惑が折り重なっているのである。 "" インドの神秘思想は十九世紀以降に西欧世界で再発見され、西欧経由でそれを自らのものにしたエリート的宗教者によって、インドの伝統として再定義された。インドのナショナリズムはこのように再発見された伝統を基軸として自らのプライドを取り戻そうとしたのである。それは古代の精神文化では優位にありながら、当時の物質文化では西欧世界に劣っている状況をくつがえし、さらには統合原理としての宗教の威力を発動させようとするものだった。こうしたインド哲学の伝統の再発見に、神智学運動が果たした役割は決定的なものがあった。毀誉褒貶はあるものの、ナショナリズムと結び付いたスピリチュアリズム、オカルティズムが最も効果を上げた例だといえるだろう。 一九六〇年代からの欧米を席巻したカウンター・カルチュアのなかで、近代合理主義への批判として、東洋的精神への関心が高まったが、その源泉をたどれば神智学協会のマダム・ブラヴァツキーに行き着く。マダムはいわゆるニューエイジ運動の遠祖として、ニューエイジの母あるいはゴッドマザーなどと称されている。かのビートルズが、その流れをくむマハリシ・マヘーシュ・ヨーギに傾倒していたことは有名である。マヘーシュは五〇年代からアメリカに道場を開いて成功し、ジッドウ・クリシュナムルティ、ゲオルギイ・グルジェフとともに世界三大グルの一人に数えられた。その流れのなかで、プッタパルティのサティヤ・サイババやラジニーシ(オショー)などが世界的な注目を集め、それがめぐりめぐってインドでの関心にもつながっていった。そこでの関心は主に「瞑想」を通じた神との合一だが、これはキリスト教神秘主義との親和性が高く、いわば東西融合した神秘思想の典型である。 このように、インドの神秘思想、秘教思想は、いずれもなんらかのかたちで西欧世界を経由したうえで再評価された結果である。もともとインドにあった神秘主義、秘教主義は、西欧経由の再評価と、インドのエリート・ナショナリストによる再定義によって、国内外で大きな影響力をもつようになった。その際に、神智学協会が果たした役割は、きわめて大きなものがある。 "" -『神智学とアジア』P91

瞑想にまつわる話をしよう。 「いまここ」が流行して久しいが、本当に「いまここ」を体感していれば、宗教なんて考える余地はなくなるし、宗教性はなくなるはずだ。スピも自己啓発も消えてなくなる。宗教とは過去と未来を考えることであるから、本質的に「いまここ」とは相性が悪い。 アマゾン原住民のピダハンをご存知だろうか。彼らの言語は特殊である。彼らは宗教を持たない。創世神話もない。神秘的なことも起きない。今、実際に見ているものしか信じない。彼らの世界は、実際に目に見えている範囲だけだ。 彼らの特殊な言語的特徴はその時制システムにある。 彼らの時制システム: - 過去……

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瞑想にまつわる話をしよう。 「いまここ」が流行して久しいが、本当に「いまここ」を体感していれば、宗教なんて考える余地はなくなるし、宗教性はなくなるはずだ。スピも自己啓発も消えてなくなる。宗教とは過去と未来を考えることであるから、本質的に「いまここ」とは相性が悪い。 アマゾン原住民のピダハンをご存知だろうか。彼らの言語は特殊である。彼らは宗教を持たない。創世神話もない。神秘的なことも起きない。今、実際に見ているものしか信じない。彼らの世界は、実際に目に見えている範囲だけだ。 彼らの特殊な言語的特徴はその時制システムにある。 彼らの時制システム: - 過去、現在、未来を明確に区別する文法的時制がない。 - 代わりに、事象が話者の直接経験かどうかを示す証拠性の区別がある。 つまり、彼らは本当に「いまここ」にいる。 彼らの文化には以下特徴がある︰ 1. 超自然的な信仰の欠如: ピダハンは一般的に、神々や精霊、来世などの超自然的な概念を持たないと報告されている。 2. 創造神話の不在: 多くの文化で見られるような世界の起源や人類の創造に関する神話を持っていない。 3. 直接経験の重視: ピダハンは直接経験できないものを信じる傾向が低く、これが宗教的概念の欠如につながっていると考えられている。 4. 「いまここ」の文化: 彼らの文化は現在の瞬間に焦点を当てており、これが宗教的な考えの発展を抑制している可能性がある。 このような特徴により、宗教が人間の普遍的な特徴ではないかもしれないという議論を引き起こしている。 こうしたことからわかるのは、現代において「いまここ」を軽々しく語る者達の底の浅さである。 彼ら彼女らは、「いまここ」にはいない。

AEOを本気で探求するなら、催眠学の基礎は学んでいたほうがいいと思う。世の中の見方も、瞑想も変わる。 僕はAEO体得後にこうした本を読み始めたが、訓練中に読んでいたらたぶんもっと早く体得できたんじゃないかなって今になると思う。 現代催眠原論 https://amzn.asia/d/iwz494i 自己催眠(オンデマンド版) https://amzn.asia/d/3MLoITZ 現代催眠学: 暗示と催眠の実際 https://amzn.asia/d/c5bvE25

原始仏教にも大乗仏教にもチベット密教にも、ヴェーダーンタにもウパニシャッドにもタントラヨーガにも、表現のお作法ってものがそれぞれあるんだよ。それを理解せずにそのままに受け取るのが神秘主義者でありスピリチュアリスト。

オカルトは9割まともな論考をして、1割変なものを入れる。だから多くの人が絡め取られる。でもそうしたオカルトがどのようにして日本に”輸入”され”コンテンツ化したか”という変遷史がわかれば、きちんと一歩引いてつき合うことができるだろう。そして時代は繰り返される。歴史を知らない者たちによって。

"" 一見関係のないものから学んで、活かせる人は構造が見えている。表面は違っても奥にある構造には共通点がある。構造の共通点が見えれば、抽象化し言葉にすることができる。それは一つ上の抽象段階で構造を捉えることができるからだ。 "" ー『熟達論』

勤労であることはよくない。そうした人間は立派ではない。という言説は社会的に受けいれられるだろうか? 受け入れられないだろう。労働は倫理的であって神学的である。そもそも経済学は道徳哲学から発展したが、道徳哲学はもともと神学の一部だ。故に私は極力働かないのである。

哲学者が仏教に興味を持つはいいけどな、頭でこねくり回さないで、100メートルダッシュ10本キメた後に座ってみろ。話はそれからだ。

しょうもない経典読んで瞑想するくらいなら、400メートルダッシュ5本キメてから座ってみな。ぶっ飛んでるから。ダッシュのインターバルは3分な。

ヒューマニズム=人間至上主義

俺が好きな「カーラチャクラ・タントラ」は、インドタントリズムの総決算。人間が到達した、現実的な心身変容技術の極みである。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 [……] 不知、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。又不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主と栖と、無常を争ふさま、いはゞあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つ事なし。 ー方丈記

尸林では、棒を突っ込む道も、棒を突っ込まない道もある。これって冷静に考えたら、すごいハイレベル。左道タントラも、余計なものを削ぎ落とした超短縮型ハタ・ヨーガも、いずれもいけるということだから。他にもこのレベルの瞑想コミュがあるならぜひ知りたい。

DMTがどこから出てるのかは科学的にまったく判明してないし、そもそも出たところを計測できないというのがある。のに、DMTを分泌させる呼吸だのにヒトが集まるのはなぜだろう? 答え: ヒトは物語が好き

尸林の精神

心構え、哲学、生き方

AEOによる体験の強烈さは、その人の過去の経験に強く比例すると考えているのだが、いかんせん体得者のデータがないのでわからないところではある。 ただ、AEOの訓練過程ではこの過去の体験の差が如実に出るかもしれない。 というのも、「快感」についてどう考えるか? その満足する閾値をどこに置いているか? は、AEOを成就できるかどうかの大前提になってるかもしれないと思っている。 僕は天武氏と考察録2を製作する過程で、 「世間の人は快感(快楽)に関して恐らく僕等ほど関心がない」 「世間の人が体験している快感(快楽)は雀の涙みたいなもので、とても質が低く刹那的」 「……

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AEOによる体験の強烈さは、その人の過去の経験に強く比例すると考えているのだが、いかんせん体得者のデータがないのでわからないところではある。 ただ、AEOの訓練過程ではこの過去の体験の差が如実に出るかもしれない。 というのも、「快感」についてどう考えるか? その満足する閾値をどこに置いているか? は、AEOを成就できるかどうかの大前提になってるかもしれないと思っている。 僕は天武氏と考察録2を製作する過程で、 「世間の人は快感(快楽)に関して恐らく僕等ほど関心がない」 「世間の人が体験している快感(快楽)は雀の涙みたいなもので、とても質が低く刹那的」 「世間の人にとっての強い快感(快楽)のほとんどは、しょうもない粗雑な性感しかない。それを最高の快楽だと思い込んでいる」 という意見を持っていて、これは今でも変わっていないし、さらに強くなっている。 体内の特定の場所に意識を集中すれば、快感が発生するが、これは別にAEOじゃない。こんなことは今すぐ、誰がやっても発生するものであって、みな知らないだけ、やっていないだけである。 ここがAEO成就のひとつの分かれ道になると思っている。 恐らく過半数の人は、考察録を読んで、ちょっと体内に集中してみたら快感を感じ、それを「AEOだ!」と思う。だから、過半数の人間はここで脱落する。そもそもスタートに立つことなく終わる。 でも、しょうがない。特別な快楽体験をしてくる人というのは希少性で、ほとんどの人は似たりよったりな人生を歩む。ここまで社会システムが構築され効率化されていれば、それは当然の話である。みんな見えている道しか歩かない。当然だ。 過半数の人間が体験してきた快感、快楽はしょうもないレベルだ。日本に生きていればなおさらだろう。ドラッグ文化も世界的に見ても限りなくゼロだ。だから、快感の閾値が低い。体が動かないおっさんの草サッカーを見て「すごい! やばい!」と思える。身体に毒でしかないアルコールが街中で安価に売られ、仕事のストレスを発散させるために酒を飲んで、結果的に精神と身体を蝕んでいく。このような生き方をしていて、ぶっ飛ぶような快楽を体験するための壁を突き抜けることは、当然だができない。 壁を突き抜けるにはある種の狂気、いやある種の正気が必要になる。 僕は今でも「AEOにはまだまだ先がある」と確信している。だからこそ、日々AEOは変化していく。それが楽しい。変性意識状態もどんどん深くなっていく。究極の瞑想は「死」だ。怖い物見たさでそれもまた最高の体験だ。 AEOを成就しようとする者は、どこまでも快楽を求める必要がある。それは粗雑なものではなく、質の高い純粋な快楽だ。その極地にあるのがAEOなのだ。AEOは快感そのものを体内で直接発生させる。何かに頼ることなく、強烈な快感が自生される。 AEO訓練者は、未だ絶対に体験したことがない至上の快楽、そして精神状態があるのだと理解しなければいけない。だから、AEOを成就していないのに「これがAEOだ」と思うのは間違っているし論理的にありえない。体験したことがない快楽を体験すれば、普通ではいられない。「心地いい〜」などというレベルではない。人生が根底から覆されるレベルだ。深呼吸でもストレッチでもオナニーでも人生は変わらない。 いま、あなたが感じている快感などゴミみたいなものだと思わなければいけない。 いま感じている快感で「AEOはすごい!」などと思うのは完全に間違っている。僕はAEO体得前に「AEOすごい!」などと思ったことは一度もない。壁を突き抜けていないから当たり前だ。わからないものを「すごい」などとは言えないし、「もっと先があるだろ? これが天武氏が語ったAEOであるわけがない」と思い続けた。 ハッキリ言おう。 壁を突き抜けるまでに発生する快感はゴミだ。 ゴミをありがたがってはいけない。ゴミは捨てるものだ。 そうすれば新たなものが入ってくる。

頂上だと思ってる景色を登山口に変えろ。尸林の瞑想ギャングならな。

瞑想のモチベーションってのはな、1年後、2年後、3年後、5年後、10年後の自分に対する期待。座らないと自分を信じることはできない。自分の成長を信じるために座れ。犀の角のようにただ独り。

尸林よ。尸林の瞑想ギャングが増えようがどうしようが、やることは変わらないのだ。やるべきことは変わらない。それはすでに示してある。淡々とやるのだ。誰も見るな。自分の身体だけを見ろ。俺は考察録と向き合い、たったひとりで座り続けたのだ。フィードバックは自分自身の身体からしか得られない。当たり前の事実を見失うな。他人は君の身体のことは全く理解していない。ましてや糞の掃き溜めのXなどという場での言葉だけのやり取りで理解できるわけもない。自分を見失うなよ。

明日の自分を信じて、今日の自分を疑い、昨日の自分に勝つ。

尸林がニッポンに合わせるんじゃなくて、ニッポンが尸林に合わせるの。

Empty vessels make the most noise.

世俗に生きながら、出世間的態度でAEOを行ずる。それが尸林。

過去の栄光も後悔も食えねぇから捨てろ。ほんで座れ。

よく、「無理のない範囲で」とかあるだろ。でも、尸林の瞑想ギャングたるもの、無理しないとな。卒業アルバム作りのような、思い出作りじゃないんだよ。覚醒は生き様だって言っただろ? パラパラを踊って合わせて喜べるような人間が、手を出していいものじゃないんだよAEOは。

トリップしねぇニンゲンはただのブタだ

お任せ3万の寿司を喰い、定価×10倍のポン酒を浴び、帰り道でゲロを吐く。吐瀉物の中に美を見出し、世間とやらに唾を吐く。これがタントリカ。

あくび系EOもAEOも、答えは君の身体しか知らない。師匠も俺も、道筋を示すことはできるけれども、その道を歩くのは君の身体と意思だ。

草サッカーにはみんな混ざれる。楽しい。簡単。でもプレミアリーグには混ざれないしそもそも理解できない。そういうこと。そして、かなり多くの人が草サッカーをして自分は「プレミアリーグだ」って勘違いしてしまう。レベルが低いから理解した気になれる。でも、超ハイレベルなプレミアでやってる奴は常に切磋琢磨する。綱渡りさ。でも、最終的に栄光を摑めるのは、どちらかな? ダニング=クルーガーエフェクトだ。

金曜日なんだから仕事なんてしてないで家に帰れ。

覚醒は生き様だ

答えが自分の身体の中にないのなら、いったいどこにあるって言うんだい? 尸林よ。

尸林の覚醒者が世に憚ることはない。それはなぜか? 我々は物を見せびらかすこともなければ、金を誇示することもない。卒業アルバム作りのような慣れ合いコミュニティを作る気もない。横のつながりを作ってお手てつないで仲良くする必要もない。あるのは至福の快楽を発生させる黄金の神経系だ。それと共に犀の角のようにただ独り歩む。多くの人は、目に見えないものを信じることができない。故に我々は、世に憚ることがない。

体内のどの感覚に注意を向けるべきかってのは、観光をするのか? はたまた、そこに住むのか? の違いだ。 大抵の人間は色んなところを観光してキャッキャッして終わりだ。表面だけ触って何も残らない。しかし尸林の瞑想ギャングたるもの、地に足をつけてそこに住まないといけない。住むのと観光するのとでは訳が違う。わかるかな?

尸林を傍受したお前は健全

やる気が出ない時こそやれ。それがスイッチさ。尸林からは以上だ。

観念、イメージングは〝それ自体〟じゃない。だから効率がいいようで悪いし質も悪いし頭おかしくなる。尸林の瞑想ギャングたるもの、〝それ自体〟の場所を特定し、刺激方法を模索するべきだ。観念、イメージングで遊ぶのはそれからでも遅くない。

尸林には瞑想シーンの100年先がある。